こんにちは。リリです。
ここ最近は、「孤独」をテーマにした記事を数カ月にわたって執筆してきました。
今回はそんな「孤独」記事のまとめ・総括的な内容となります。
1:孤独感の根源的「正体」
2:孤独と依存の密接な関係性
3:孤独感・寂しさの根本的な取り除き方
4:孤独の真実→あなたは本来、孤独とは一切、疎遠の存在であるという事とその「根拠」
孤独感というのは、そう簡単に拭い去ることのできる感覚ではありません。
多くの人が日々、人との繋がりを持ちつつも孤独を抱いて過ごしています。
ある人は孤独や寂しさからアルコールに溺れたり、またある人はギャンブルにのめり込んだり、恋愛に溺れたり、SNS中毒になったり…。
そのように、「孤独」「寂しさ」は時に、私たちから正気を奪うことさえ、あります。
「そこまではない。」と思う人でも、「自分は孤独感や寂しさから100%解放されている。」という方は少ないのではないでしょうか。
よって今回は、そんな人類の普遍のテーマである「孤独とは」ということに関して徹底的に解説していきます。
完全版になりますので、本1冊分の知識量といっても過言ではないほどの内容になっています。
当記事の内容を読むだけでも人生が180度変わってしまうような、そんな内容を余すことなくお伝えしています。
それでは早速、いきましょう。
孤独感の根源的「正体」
「孤独」という感覚を感じる要因を突き詰めていくと、大きく3つに分けられます。
それは以下の3つです。
・帰属感の欠如
・恥の感覚
・恐れの感覚
帰属感の欠如とは?
「帰属感」とは、ある集団に属しているという意識のことを言いますが、そうした感覚がどこに対しても感じられない。もしくは、自分が多くの時間を共にする人たちとの間に感じられない場合、「帰属感」の欠如により孤独を感じやすくなります。
最も耐え難い孤独とは、人が溢れている空間の中で感じる孤独です。または恋人や家族がいるのに感じる孤独とも言えます。
なぜ、人が溢れている中で感じる孤独の方が1人ぼっちよりもきついかと言えば、通常の孤独感に加えて、まるでその世界に自分の存在が拒絶されているような感覚までも付け加えられるからです。
こうした孤独を取り払うには、自分が帰属感を感じられる場所…つまり、あなたがありのままでホッとできるようなそんな場所・集まりを探していく必要があります。
もちろん、完璧な集団などありませんのでその中でも相手をあるがままに受容したり許しあったりすることが必要になってくるとは思います。その上で、まずは何よりも自分がありのままで否定されない場所を探していくことが大切です。
あなたが今現在のその場所に合わないのは、あなたが悪いのではないかもしれません。ただ単に周りの人たちがあなたを理解できない可能性もあるのです。
だからこそ、帰属感が欠如しているからといって「自分が悪い」と決めつけないようにすることも大切です。
恥の感覚とは?
恥の感覚はときに羞恥心という言葉で表現することもあります。
恥の意味をネット上で調べると「世の人に対し面目・名誉を失うこと。」と出ますが、この恥の感覚は、社会的動物である人間にとって、最も耐え難い感覚の1つだと言われています。
よく、「恥ずかしくて穴があったら隠れたい。」というような表現がされたりしますが、思わずその場から逃げ出したり身を隠したくなったりするほどの感覚を覚えさせるのが、恥の感覚です。
そのように、恥の感覚は私たちの心を閉ざさせるほど、強烈に不快なフィーリングを伴います。
それがブロックとなって、人間関係を構築することを避けたり他者から愛を受け取ることができなくなっていくことも、しばしばです。
それに加えて、自分を責めて劣等感を感じてしまうことも多いでしょう。
恥の感覚を覚えた際に大切になるのは、自分への思いやりです。
その時自分にできる範囲でベストを尽くしたその結果、そのような体験がもたらされた、ということへの理解と共に、自分への慈悲を向けることが大切です。
自分に対しての思いやりの与え方の詳細は以下の記事で説明させていただいています。
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
恐れの感覚とは?
恐れの感覚は、前述した恥の感覚以上に強烈な感覚だと言えます。
恐れの感覚は私たちを盲目にさせ、健全な人間関係から最も遠ざけます。
恐れを軸とした人間関係の先に待っているのは、服従・洗脳・依存といったエゴ的関係の沼です。
そうした関係性は人の心に「苦しみ」や「不信」を育てますので、健全な人間関係を築くことを阻害し、結果、どんどん孤独な状況に導かれていきます。
ではなぜ人は恐れを軸に人間関係を築いてしまうのでしょうか?
そこには非常に根深い理由が隠されています。
まず最も多いのが、見捨てられることへの恐怖です。
自尊心が低いと、「自分は愛される価値のない存在だ」ということを前提に人間関係を築いてしまうことが多いです。
その結果、自分を大切にしない相手であろうと、自分を見捨てない相手であれば依存してしまう…ということが起こっていきます。
逆に自尊心が健全に育まれた人は、人間関係の距離感の掴み方がうまい方が多く依存することができない相手ですので、結果的にそうした人ではなく、不健全な関係を望む人ばかりに吸い寄せられていく…という悪循環も起こっていきます。
そのほかにも、「拒絶(無視)・非難・否定されること」「依存関係に閉じ込められること」「エネルギーを奪われ自分を見失うこと」など、様々な人間関係への恐れがあります。
恐れからくる孤独感の解消法
そのような様々な恐れからくる孤独感の解消法は「いかに自分の現実をコントロールするか」であったり、「現実をポジティブでごまかしたりすること」の中にはありません。
大切なのは「何が起きても私には私がいる」という自分自身への信頼感と安心感を育てることです。
自分自身の中に軸を持つことだとも言うことができます。
「自分自身を絶対に見捨てない」と決めることができれば、他者から見捨てられても恐怖は起こりません。
自分を最も愛せるのは自分自身だと気付いていれば、誰かに自分のありのままを否定されても、それを真実だと受け止めて傷つく必要もありません。
そのように、健全な自分への愛を育むことができていれば、不健全な人間関係に陥る要素が消えていくのです。
そのためには、「自分の心からの本音を無視しないこと」であったり、「自分の闇の部分もあるがままに受け入れること」などが必要になってきます。
「孤独」の根源をさらに深掘りすると…
孤独の根源を深掘りすると、私たちが当たり前に持っている、「自分は個人として存在するという感覚(=自我・エゴ感覚)」にまで遡ります。
自我・エゴ感覚は私たちの肌を境目にして、自分と他者という壁を作り上げます。
この感覚こそが私たちの根源的孤独の始まりです。
「創世記」ではアダムとイブが林檎を食べたことによって知恵をつけ、この自我の分離を生み出した(人間の原罪の始まり)と表されています。
本来、私たちはワンネスであり、分離していない愛そのものの存在です。これは昨今の量子力学や科学でも明らかになってきています。
しかし、「自分は個人として存在するという感覚(=自我・エゴ感覚)」が私たちを孤独に連れ込みます。
その結果、「人生は自分一人でどうにかしないといけないものだ。」「私は死ぬときは一人だ。」「私は頑張らないと生きていけない。責任は自分にある。」とそんな風に、人生におけるあらゆる重荷を背負っていく事となるのです。
孤独と依存の密接な関係性
孤独を感じる要素は人生の中でたくさんありますよね。
ふと一人になる時、暇な時、何かがうまくいかない時…孤独を感じる瞬間は人それぞれに違うことだと思います。
だからこそ多くの人が、日々の中に漠然とした不安を抱きながら、でもそれをなんとかごまかして過ごしていることでしょう。
「どうごまかすか?」と言えば、それは人それぞれの方法があるでしょうが、何かに依存することで誤魔化されている人がほとんどの印象です。
依存の対象や、その強度は人それぞれ違いますが、皆、何かしらに依存して、ある意味それに”酔っ払って”生きているのです。
最近のアメリカの調査によると、未成年の子どもの20%以上が不安障害と診断される状態にあるそうです。
しかも、これは診断がつくほどに強い不安感を持った人のみの割合です。
私自身も現在、スクールカウンセリングのお仕事もさせていただいていますが、その中でわかった事は、日本でも多くの子どもたちが強い不安と向き合いながら、時には健康に不調をきたしながら日々を過ごしているという事です。
そんな中、孤独が引き寄せる副産物的(あまり有り難くない副産物ですが)なものとして、「依存症」があります。
厚生労働省の依存症を説明するページの中には「依存は孤独の病気」と記載があるほど、依存症と孤独は密接な関係性にあります。
「依存」は心の痛みのサイン
多くの人が「依存」というワードで連想するもの、それは基本的にはギャンブルであったり、アルコール、タバコなどといったものだと思います。
それらは依存を誘発する要素が強いものであり、そうしたものへ依存している人は「どうしようもない人」・「怠惰な人」と偏見を持っている方も少なくない印象です。
しかし、依存対象はそれだけに限らず、実はほとんどの人たちが何かしらに依存して生きています。
例えば、SNS、薬物(処方箋含む)、ゲーム、恋愛、友人、快楽、知識、買い物、旅、子供、甘味など…その対象は意外と広く存在します。
なぜ私たちはこうも何かに依存していなければ生きていけないのでしょうか?
そこには「心の痛み(孤独感)」が密接に関係しています。
前述したように、孤独を感じる機会は人生の中に沢山、存在しています。
しかし、私たちは子どもの時にそうした孤独感への対処法をほとんど教わらずに成長しました。
誰もが、自分をありのままに愛することが孤独感への対処法だと知らずに生きてきたのです。
だからこそ、何か外の世界に孤独をごまかす対象を探すしかなかったのです。
そのように依存もまた、孤独が生み出す心の病、”合併症”なのです。
この解決法に関しては当記事下部の「孤独の真実」という見出し文章の中にて詳しくご説明しています。
孤独とお金の密接な関係性
ここまでのお話で、孤独がいかに私たちの人生に深く根付いていて、かつ私たちの人生を左右しているかがわかったと思います。
これらに加えて、孤独はお金とも密接な関係性を持っています。
孤独が辛いとそれを何かで発散しようとし、その対象はときに”買い物”であることもあります。
他にもあらゆる対象物がありますが、基本的にどの対象もお金を失うものですよね。(一部例外もあるかもしれません)
アルコール・タバコ・ギャンブル・薬物なども基本全てはお金(時には大金)を継続的に失う可能性のある依存対象です。
そうした何かを消費することへの強い衝動がある人の心には、基本的に”より根深い空腹感(満たされない思い)”が潜んでいます。
「なぜかわからないけど、満たされない!心が苦しい!だから、これを買うことで少しはマシになるはず!」
「自信の無さを埋め合わせるために買い物をして着飾ってごまかそう。」
「ストレスを発散するために買い物をして一時的に快感を感じたい。」
上記の内容は少し、強い表現かもしれませんが、心の深い部分を探っていくと、そんな気持ちで買い物に走る人も多いのではないでしょうか?
そうした自尊心の欠如による孤独や心の痛みから消費に対する依存を起こし、その結果お金がどんどん消えていく…。ということも少なくありません。
そんな満たされない思いを本質的に埋めてくれるのは、愛です。この愛とは条件づけられた愛ではなく、無条件のものです。
無条件の愛は、心を開き、人と比べて得る幸福とは別物の、唯一無二の幸福を私たちにもたらします。
孤独を根本的に取り除いてしまう方法とは
「孤独」は人間の普遍のテーマである。といっても過言ではないほど、難しい問題です。
その根源には「自我(アイデンティティ・エゴ)による分離」が関わっていて、そこまで遡る必要があるということをお話させていただきました。
つまり、私たちが「孤独・寂しさ」から本当に解放されるためには、自我(アイデンティティ・エゴ)から解放される必要があるのです。
それは言い換えれば、悟りを見出す必要があるとも言えます。
ただ、悟りを開くというと、ハードルが高いと感じたり、「何のこっちゃ?」と思う方もいるかもしれません。
私自身、あらゆる体験や探求を経て、この結論に至りましたが、急にそんなことを言われたら、理解できなかったと思います。笑
そんな方々のためにまず日常の中で大切になってくることが何かをお伝えすると、
それは「兎にも角にも自分を大切にすること。」と「孤独を埋めるのは外側の世界ではないと気づくこと。」です。
パートナーがいさえすれば、趣味がありさえすれば、成功さえすれば、自分の孤独感や寂しさは消えていく。
これは私が20代前半くらいまで信じていた信念ですが、そこから10年近くの月日が経った今、それらが全くの間違いであることを実体験を持って痛感しています。
もし、自分の中に「自分で自分を満たせない」「自分の寂しさを自分自身では埋められない」という感覚がある限り、必然的に外の何かで自分を満たす必要が出てきます。
その対象は様々ですが、それが恋人であることもあれば、息子・娘など家族、パートナー、学歴、地位・名誉であることもあるでしょう。
外の世界に何かを求めると、その求めたものが与えられている瞬間は寂しくないので平気です。しかし1人になった時にまた、孤独や寂しさと対峙することとなります。
それが苦しくてまた求める…結果、その人は孤独や寂しさを埋めてくれる相手に依存するようになっていきます。
そうすると視点(意識)はいつでも外側に向いていき、外の世界に翻弄され、自分自身の無力感は増す一方です。
例えば、どんなに良好な夫婦関係を築いていたとしても、今度が相手を失う恐怖で苦しむ…という恐れが起こることもしばしばです。
しかし、いつも自分を自分で満たす覚悟と実践ができていれば、そうした恐れに絡め取られることも減っていくでしょう。
ある目覚めた夫婦が以下のように言っていたのが非常に印象深く残っています。
私たちはたとえ、お互いがいなくても満たされています。個人で完全に幸福なのです。
私自身、そうした感覚を育めるような自分でありたいと思いますし、そうした関係性を築ける相手と出会えるまでは、焦ったり妥協する必要などないのではないかと感じます。
孤独の「真実」
これまで、孤独に関して色々な角度からお話させていただきました。
正直、リンク先の内容も含めると、この記事だけで本1冊分くらいの知識を学べる内容となっています。
最後に、そんな孤独に対する洞察への締めとして「孤独の真実」についてお話させて頂ければと思います。
私たちはマインドがあって、エゴがあって、個人で存在していると信じる分離感がありますので、その視点から見れば孤独はどこまでもついてくる問題です。
人は死ぬときは1人ですし、病にかかる時も自分1人でその症状を背負うことになります。
仏陀は数千年前に、贅沢を尽くした王国から出た際にそんな老いと死に直面し、その結果、人生の本質を求めて王国を飛び出し目覚めることとなりました。つまり、個人という枠を超越した「悟り」を見出したのです。
そんな目覚めた視点から見れば、「私たちは孤独になりようがない。」というのが真実です。
実際、目に見えないサポートは沢山存在していて、ハイヤーセルフという存在が私たち1人1人の目覚めをサポートしています。(詳細は以下にてご覧頂けます。)
なぜかと言えば、目覚め・悟りとは「私は個人である」という感覚を超越して全体性として在る。という感覚であり、その結果、孤独を始め”全ての個人としての痛み”が消えていくからです。
もちろん、依存症も例外ではありません。
依存症改善を目的とした自助プログラムの「アルコホリック・アノニマスの12ステップ」(以下、AA)ではまさに、この目覚めた視点を人生に見出していくことをゴールとしています。
AAはどのような宗教、宗派、政党、組織、団体にも縛られずに目覚めを見出していき、依存症からの解放を目指す団体であり、実際の効果がすごいということで、現在世界中にAAの施設が作られています。
AAを生み出したビル・ウィルソンは重度のアルコール依存を患った後に、目覚めの一瞥を体験し、その結果、一瞬でアルコール依存が消え去ってしまったそうです。
私たちのエゴが生み出す分離感からくる孤独への解消法は、こうした実体験や世界で見られている効果が、何よりの証拠になると思います。
結局、目覚めていくこと、そして無条件の愛の実践が全ての問題への解決策なのです。
この視点に立った時、私たちは初めて、孤独の真実である「私たちは本来、孤独になどなりようがない」ということに気づいていくことになるのです。
終わりに
以上、今回は孤独に関して、その根本的原因から解決法まで全てをお話しさせていただきました。いかがだったでしょうか?
今回の内容をまとめます。
1:孤独感の根源的「正体」
①帰属感の欠如
→帰属感というのはある集団に属しているという意識であり、その意識が感じられない世界では孤独感を抱きやすくなる(大勢の人がいる中で感じる孤独はより残酷なこともある)
②恥の感覚
→恥の感覚は、非常に強烈な不快さを伴い、私たちの心を閉ざさせる感覚の1つ。
集団の中で恥を抱いた際には、その集団に心を開けなくなることも多く、その結果孤独を感じることもしばしば。
③恐れの感覚
→恐れの感覚は恥の感覚以上に強烈な感覚を持たせる。
見捨てられることへの恐れや拒絶への恐れは不健全な関係性へと私たちを連れ込み、その結果、依存したり主従関係になったりと恐れの関係が築かれていく。その先に待っているのは苦しみであり、そうした関係性の中では孤独感が増すことも多い。
2:孤独と依存の密接な関係性
・依存は厚生労働省によると「孤独の病」とされている。それほど依存と孤独は密接な関係性を築いている。
・孤独による依存には”より根深い空腹感(満たされない思い)”が隠れている。
→依存対象は一時的に心を満たすがそれ以上の快楽を求めるように脳が出来ているので、どんどん依存していく
・そう考えると皆、好きで何かに依存している訳ではない。
3:孤独感・寂しさの根本的な取り除き方
・孤独感・寂しさを根本的に取り除いていくには、まず自分をあるがまま受容する必要がある。
・究極、自分自身の自我・エゴが生み出す分離感を取り除いていく必要があるので、そのためにはエゴから解放され悟りを見出していく必要がある。
4:孤独の真実→あなたは本来、孤独とは一切、疎遠の存在であるという事とその「根拠」
・目覚めた悟りの視点から見れば、「個人」などおらず、ただ在るだけがある。
つまり、私たちは本来、孤独を感じようがない存在であるというのがこの世界の真実である。
・実際、目覚めた視点を見出したことで重度の依存症から解放された人が世界中に存在している
・その気づきを見守り支えている見えない存在→ハイヤーセルフ
以上、今回は孤独に関する洞察をお話しさせていただきました。
孤独から解放されるために実際にどう行動していけばいいのか?ということに関しては、自分を愛し目覚めていくための無料メルマガ講座「愛による人生変革講座」で詳しくお話しています。
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それでは今日はこの辺で。
愛を込めて。
リリ