こんにちは。リリです。
今回の内容は「寂しさ・孤独感の真の正体とは?」の後編ということで、以下リンクの前回の続きの内容になります。
もしまだお読みで無い方は、先に以下の記事を読んだ上で、こちらを読んでいただいた方がより理解が深まる内容となっております。
この記事から学べること
①孤独の根源的な正体3:羞恥心について
→その解消法
②孤独の根源的な正体4:恐れについて
→その解消法
③人間関係における4つの恐れ
寂しさ・孤独感の真の正体 後編
寂しさ・孤独感の正体を根源的に突き詰めていくと、その正体は大きく以下の4つに分けられるということを前回の記事でお話しさせていただきました。
- 分離の感覚
- 帰属感の欠如
- 恥の感覚
- 恐れの感覚
前回の記事では①と②について説明しましたので、今回は③「恥の感覚」と④「恐れの感覚」を、それぞれ解説していきます。
③恥の感覚(羞恥心)
恥の感覚は大きな孤独感を育てます。
というのも、「恥=自分は本質的に罪のある存在・劣っている存在・欠陥がある」というような思い込みを育てる感情であり、それがブロックとなって人間関係を構築することを避けたり、他者から愛を受け取ることができなくなっていくからです。
それに加えて、恥の感覚は強烈なフィーリングも伴います。
胸のあたりが耐え難いほど痛んだり、首や胸や頬や耳が火照ったり、自分が小さくなった気がしてとにかく隠れたいという思いが湧いてきたり…そんな強烈な不快な感覚を伴うものです。
例えば、あなたが大きな欲求不満(フラストレーション)を抱えて生きていたとします。
その発散方法がわからず、怒りを母親にぶつけたとしましょう。
するとそれを見た父親があなたにこんな風に言います。
「お前は怒りをすぐに出して心が狭い。人間性がなってないみっともないやつだ。」
その途端、あなたは自分の行為に対する批判に傷つきます。
羞恥心に苛まされ、困惑や屈辱感を感じるとともに、「怒り=罪深い感情」だと感じるようになります。
その体験があまりにも不快であるため、そんな経験を是が非でも避けたいと思うようになり、そのために「怒りを隠し通すことが正解」「欲求不満というあるがままの感情=悪い感情」という風な価値観を採用し、それを自分の道徳基準にしていくのです。
その結果、「良い人を演じる自分」は社会ではある程度うまくいきますし、愛されます。
しかし、「あるがままの怒りを抱えた自分」が閉じ込められ無視されているので、そんな自分が愛に飢え、孤独を抱き続けることとなるのです。
「良い人を演じる自分」として恋人ができたとしても、素の自分を表に出して、それを受け入れてもらうという体験をしない限り、どれだけの時間を共にしたとしても孤独を抱き続けるでしょう。
以前、こんなお話をあるお方からお伺いしました。
幼少期、歌を歌っていたら「お前は歌が下手だから歌うな。」と親に言われ、それがショックで恥ずかしくて、その後、人前でのびのびと歌えなくなった。本当は歌うのが好きなのにいつの間にか怖くなってしまった。
家族は好きだけど、どこか心を開けず孤独なのはそうした痛みの積み重ねかもしれない。
そんな恥の感情に対する解決法は「思いやり」です。
思いやりは言葉や思考を超えて、あなたのハートを開き、素直にさせます。
思いやりの感情は、基本的には誰かに対して”その人の立場に立って共感すること”で起こるものであり、そこには深い理解とあるがままの受容と調和があります。
この思いやりを、先ずは自分に向けることで、私たちは恥の強烈な感覚を乗り越え自分をあるがままに受容し、孤独を超えることが可能となるのです。
例えば、「歌が下手だから歌うな。」と言われたことに対して恥ずかしさと傷を抱えた自分に対して思いやりを向けるならば、以下のように接することができます。
歌が下手でもいいのよ。あなた(内なる子どもであるインナーチャイルド)が楽しかったらそれでいいのよ。それが私の幸せだから、好きなように歌ってね。
そうした思いやりによって、インナーチャイルドは安心してのびのび生きられるようになるのです。
そうして自分に思いやりを与え続けるならば、あなたはありのままに自分を表現できるようになり、その結果、そんなあなたを愛してくれる人を引き寄せることになります。
加えて、あなたのハートの中にある思いやりのコップが溢れてきたならば、今度は他者に対しても思いやりを自然に表現できるようになっていきます。
その結果、あらゆる人間関係に調和が生まれ「心が閉ざされた孤独な世界→思いやりによって構築された人間関係の調和的世界」に移行していくこととなるのです。
思いやりによって構築された世界においては、あるがままの自分で愛される世界なので、孤独とは程遠いものとなります。
さらに、あるがままの自分自身に対しても思いやりを向けているので、物理的に1人でいる時であっても、孤独感から解放されることができる、まさに愛の連鎖が起こるのです。
④恐れの感覚
恐れの感覚は非常に強烈な負の感情です。私たちを盲目にさせ、健全な人間関係から私たちを最も遠ざけます。
心理学やスピリチュアルな世界においては、人間の感情を二分化すると、根源的には「愛」と「恐れ」に分けることができると言われています。
愛の本質は「調和」であり、恐れの本質は「分離」です。
だからこそ、人は恐れれば恐れるほど1人になり孤立していく事となるのです。
子供の頃に人間関係でトラウマがあり、インナーチャイルドが傷ついていればいるほど、この恐怖は大きなものとなって大人になってからの人間関係に支障をもたらします。
インナーチャイルドが癒されない限り、私たちは当時刷り込まれたトラウマの記憶を心に保持し続け、持ち運ぶこととなります。まるで自分の心に地雷をたくさん保持するように。
例えば、私の場合は3歳〜15歳までに関わったあるサイコパスの女性へのトラウマと中学時代に体験したいじめ・不登校の体験によって、「人間関係(特に女性)=危険なもの・しんどいもの」と認識するようになりました。
その結果、「同世代の女性と関わること=気を使いまくる必要があるもの」となっていき、表面的かつ一時的にはうまく付き合えても、結局は自分からフェードアウトして関わらなくなる…ということを繰り返し、孤立していくこととなりました。
このようなインナーチャイルドの傷が保持されたままだと、他者とのつながりにおいて安全性を感じることは不可能です。
しかし孤独から逃れるために繋がりを求めようとし、その結果、苦しみ続けることとなるのです。
人間関係における4つの恐れ→あるがままの自分が孤独なまま置き去りに
さらに深掘りしていくと、人間関係における恐れは、大きく分けると以下の4つに分けられます。
1:見捨てられること
2:拒絶(無視)・非難・否定されること
3:依存関係に閉じ込められること
4:エネルギーを奪われ自分を見失うこと
1:見捨てられること
見捨てられ不安は私たちにつながりの喪失を感じさせる痛みです。
強い孤独を呼び覚まし、望んでいない現実を阻止できない無力感にも苛まされ、心を閉ざす大きなきっかけとなります。
その結果、人間関係への信頼感を感じることが難しくなり、見捨てられ不安から相手に尽くしすぎてしまったり、高圧的に相手をコントロールしようとしてしまったりとさらなる悪循環を生み出します。
2:拒絶(無視)・非難・否定されること
拒絶(無視)・非難・否定されることは、自分自身に原因があると信じた時、初めて大きな影響力を持ち、大きな痛みと孤独のきっかけとなります。
例えば「あなたは狂ってる。」と、そんな風に言われたとして、少しでもその通りだと思った時に初めて傷となるのです。そのように、自己批判・自己否定も同時にくっつきますので、強烈な心の傷を生み出します。
SNSでの誹謗中傷が原因で自殺する人が社会問題になっているほど、この拒絶(無視)・非難・否定は人々を孤独と苦しみに追い込むものです。
3:依存関係に閉じ込められること
私たちはインナーチャイルドの傷や自分の歪んだニーズが原因で、精神的・身体的・感情的に自分を傷つけてくる人から離れられない場合があります。
DVをする男性から離れられない女性やマインドコントロールされている人などは、まさにこれに当てはまります。
自分を傷つける人との日々はまるで地獄なのにその人から離れられない…という思いはまさに地獄の沼に落ちたような苦悩をもたらします。
4:エネルギーを奪われ自分を見失うこと
「一緒にいるとなぜだか疲れる。」そんな人と関わり続け、自分の本音を言えない環境にとどまることも(もしくはニーズを理解されない環境にとどまる)、大きな孤独を生むこととなります。
例えば、「嫌だ、やめてほしい。」と伝えているにもかかわらず、その欲求を無視し続ける人との関わりにおいて疲労感を感じたり、魂の欲求に素直になることが許されず「自分が悪いのか?おかしいのか?」と疑ってしまう環境に身を置き続けるなど。
そうした関係にあるパートナーシップは、相手に搾取されている感じがし、かつ癒着しているようなそんな関係です。
相手にエネルギーを吸い取られているようなそんな感覚になります。
恐れからくる孤独感への対処法
恐れからくる孤独感の解消法は、いかに現実をコントロールするかであったり、現実をポジティブでごまかしたりすることではありません。
必要なのは「何が起きても私には私がいる」という自分自身への信頼感と安心感を育てることです。
正直にお話すると、恐れという強烈な感覚に対しての対処としては、一般的に人気なポジティブシンキングや現実をコントロールする教えなどはあまり役に立ちません。
これは、高所恐怖症の人が100メートルの高さの場所からバンジーを飛ぶ時に「きっとうまくいく。」といったようなポジティブ思考が役に立つか?と考えてみれば、明白だと思います。
恐れは自分がそれに対処できると信じられない状況にあるときに起こります。
よって、「私はこの世界の恐怖に対処できない」と思っている自分の視点を「自分はその状況にいかにして対処できるだろうか?」へと転換させていく必要があるのです。
コントロールできないこの現実社会において、「何が起きても私は対処できる。」と自分を信頼することができれば、人間関係を恐れず、かつ苦しい依存関係に入り込まずに済みます。
恐れは幽霊のようなもので実体化なく、しかも強烈な感覚です。
その結果、ほとんどの人は自分の恐れが一体何なのかということを直視せず、そこから気をそらそうと努力し、逃げ続けています。
しかし、恐れていることをあえて避けずにそこに直視したとき、その影響力は確実に小さくなっていきます。
つまり、恐れを一度直視するのです。
「彼と離れるのは怖い。一人は怖い。」
「一人ではいきていけない。」
「嫌われたら怖い。」
「利用されコントロールされたら怖い。」
上記の他にも、孤独に関する恐怖は人それぞれです。
もちろん、その感情を直視することは簡単なことではないと感じるかもしれませんが、やってみればどんどん恐れが薄らいでいくことに気づくはずです。
そしてもし直視する際は、自分を心から理解してあげようという気持ちで、思いやりを込めて以下のように、自問してください。
「それは本当にそんなに恐ろしいものなのだろうか?なぜ、そんなに怖いの?何が私の安全感を脅かすのか?」
たいていの場合、恐れを直視した際に、自分のインナーチャイルドの傷とぶつかることとなるでしょう。
彼らを放置したまま、安心することはできません。
だからこそ、恐れをごまかしたり無視するのではなく、直視し、癒し、看破することで、恐れからの解放が起こっていきます。
孤独への恐怖は私たちを衝動的な行動に突き動かすため、必要なのはそのように根本からの安心感を育てることです。
もし一人で行うのが難しい場合、私も共にセッションでお手伝いさせていただきます。
終わりに
以上、今回は「寂しさ・孤独感の正体」について2記事に渡って、本質的な部分をお話させていただきました。
いかがだったでしょうか?今回の内容をまとめます。
・孤独の根源的な正体3→「羞恥心(自分は恥ずかしい存在であるという思い)」
・羞恥心は強烈なフィーリングを伴い、あるがままの自分を孤独へ追いやる
・羞恥心への対処法は「恥ずかしいと感じる自分に対しての思いやり」
・孤独の根源的正体4→恐れの感覚は強烈であり、私たちを盲目にさせ、健全な人間関係から私たちを最も遠ざける
・人間関係の4つの恐れ
1:見捨てられること
2:拒絶(無視)・非難・否定されること
3:依存関係に閉じ込められること
4:エネルギーを奪われ自分を見失うこと
・恐れから解放されるには→まず恐れの正体を突き止め、直視
・「恐れの乗り越え方」のプロセス
恐れを直視→癒す→看破→恐れからの解放
孤独は一筋縄ではいかない厄介な感情です。
しかし、その正体はこれまで書いたように、実は突き止められるもの。
だからこそ、まず自分の孤独はどこから来ているのか、その正体を探り、癒し、乗り越えることができたなら、素晴らしい人間関係を築くことは非常に簡単なものになっていくことでしょう。
そのためには、まず自分自身と向き合うことです。
あなたの人生が、孤独感から解放された至福に満ちたものになりますように。
それでは今日はこの辺で。
愛を込めて。
リリ