こんにちは。リリです。
スピリチュアルな世界において、よく使用される言葉の1つに「ワンネス」という言葉があります。
「ワンネス」は、「(この宇宙世界に存在している)全ては1つ」という意味合いであり、この世界の真理を表す時に使用されます。
ワンネスは、スピリチュアル界においては、比較的に浸透している用語であるため、あらゆる場面で頻繁に使用される言葉でもあります。
最近は、スピリチュアル界で一種の流行りのように使用されている感覚さえも、あります。
ただ、そんなワンネス…つまり「この宇宙世界の全ては1つである」ということを、頭の中ではなんとなく理解できたとしても、その事実をリアリティを持って確信している人は、そう多くはないように思います。
実際、この「ワンネス」の境地は、非常に深遠であり、かつ、この世界の全てを含んでいるし、私が日頃、発信している「悟り」と同義語でもあるのです。
よって、今回はそんな「ワンネス」とは一体、何なのか?どんな境地なのか?ということに関して、詳しくお話していきます。
それでは早速行きましょう^^
ワンネス(oneness)とは?そのスピリチュアルな意味
スピリチュアルな意味として、ワンネスとは、全てが1つの無境界の世界を指します。
「世界」というと、1つの孤立した世界があるようですが、そこに分離という概念はありません。
通常、この宇宙世界は全てのコト・モノが”二元的”に存在しています。
「二元」とは、その漢字の通り、大元になる相反する2つの要素・概念のことを指します。
光あれば闇あり、平和あれば戦争あり、白があれば黒があり、大きいものがあれば小さいものがあり…という風に、あらゆるものがこの二元のコントラストによって概念化され、認識されているのです。
もっとわかりやすくいうならば、背が高い人がいるからこそ、背が低い人を認識できるし、白色があるからこそ、黒色が認識できる…というわけです。
そのように、あらゆる相反する二元のコントラストによって、私たちはあらゆるものに無意識的に名前をつけて概念化し、世界を認識しているのです。
もし、この世界の人々が皆、均一に190㎝であれば、それ以外の比較対象がないので、背が高い・低いという概念は存在しようがありません。
それと同じで、この世界の色が黒色だけであれば、私たちは黒色を認識することはできないでしょう。
そんな二元性の最も根源的な例は、「私」と「私以外の何か」です。
まず根源的な二元として、「自分」と「それ以外の人…また、自分の外の世界」という認識が、非常に強固な概念として私たちの意識の中に染み付いているのです。
そのようにして、私たちは地球に存在している二元的な全てに対して、あらゆる境界線を引き、区分して生きてきました。
その結果、たくさんの差別・偏見・戦いも生まていったのです。
そんな中で「ワンネス」という言葉は、そんな二元とは全く逆の「無境界」「私もその他の世界も全ては1つである。」という非二元の境地を指します。
非二元に関しては、上記リンクでも詳しくご説明しましたが、一切の概念から自由になり、「一なるもの」として、あるがままにいる。という境地です。
そして、人間は、二元の要素・概念から完全に自由になって、この非二元の境地を見出した時に、本当の平安を知る事となります。
これこそが、多くの歴代の賢者や宗教が語ってきた「悟り」であり、「不変の真理」です。
よって、無境界の境地、ワンネスを理解することは、深い平安を知るための重要な第一歩となります。
なぜ、ワンネス(無境界)=真の平安?
では、なぜワンネスが真の平安なのでしょうか?
それは、ワンネスという境地が、戦争や負の感情・出来事を批判するのでもなく、その苦しみから逃げるのでもなく、その戦争や苦しみという概念の本質を看破した、究極的に自由な境地だからです。
どういう事なのか、詳しく説明していきますね^^
これは、ワンネスとは真逆の、二元性がもつ”ある決定的な要素”を掘り下げていく事で、理解が深まっていきます。
「個人としての私」がいれば「それ以外の人間」もいるように、私たちが日々、認識している二元の世界には、必ずや大元の2つが存在します。
善だけ。悪だけ。というように1つの要素に偏ることは有り得ません。
二元は常に同時に生まれていきます。
コインの裏表と同じです。裏があるからこそ、表が認識できるように、全ての要素には相反するものが存在しているのです。
そのようにして、「私」と「私以外の何か」、「善」と「悪」というように大きな境界線をつけたところから、戦いは生まれていきました。
自分にとって悪、もしくは不都合である他者に向けて攻撃をする。はたまた、攻撃してくる他者から、自分を守るために攻撃して守備する。といった風に。
つまり、二元の世界でいくら、戦争を批判して平和だけを求めたところで、それは決して上手くいきません。人生に幸福だけを求めることも不可能です。
そのようにして、私たち人間が生み出した二元という概念は「苦痛」対「快楽」、「善」対「悪」、「生」対「死」という対立をうみだし、決して相容れる事のない対立全体が、そのまま人類にストレートに降りかかってきたのです。
だからこそ、そんな終わりのない二元の苦しみから解放されるために、多くの人が「この世界の真理はどこにあるのか?」と探し求め始めました。
そして、非二元…つまり、「対なるもの(二元)から解放された境地こそが一切の洗脳がない真理である」ということを、イエスや仏陀に始まり、多くの賢者が見出したのです。
そして、対なるものから自由となった人々は、終わりがないように思える争いからも、容易に自由になれることを知りました。
それは前述したように、戦争を批判するのでもなく、その苦しみから逃げるのでもなく、その戦争という概念の本質を看破することによって、可能となったのです。
西洋では、この理解を「地上における神の王国の発見」と表現しました。この神の王国とは、自分を含めた世界の全てを指しています。
繰り返しにはなりますが、最も強固な対比は、「個人としての私」と「私以外の全て」です。これが私たちが世界に対して引いている最も強固な境界線です。
その対比概念・境界線から解放された時、人は初めて、「深い平安=ワンネス(個人の私ではない全て1つとしての私)」を見出す事となります。
ワンネスに対する誤解について
ただそうすると、中には「この世界の全てが、一切の境界線なく分離していないのなら、ワンネスを見出してしまったら、この世界の全ては一切何も認知されないのか?」という風な疑問が浮かび上がってくる方もいるかもしれません。
このように考えることは、至極当たり前のことなのですが、ここには少し誤解があります。
というのも、私たちは肉体を持って地球に存在している限り、ワンネスを見出した後も引き続き、あらゆる二元世界を目の当たりにすることになるからです。
ワンネスという真理は何も、物事の違いを否定したり、個性を無視したりしているわけではありません。
世界が均質で全く無個性であるといっているわけでもありません。
イエスもブッダも、この地上に肉体を持っていた時、あらゆる世界の個性を認識しました。
弟子がイエスの言っていることを難しいと感じたなら、イエスはいつでも、その人の段階まで降りて、その人に寄り添ったガイダンスを行いました。
そのように、地球は多様性の星であり、世界はあらゆる特徴や外観、性質を持ち合わせています。それはワンネスを見出した後も変わることがありません。
ですが、決定的に違うのが、その認識の深さです。
つまり、ワンネスを見出した人は、世界の個性を認めつつも、それら全て1つ1つが、1つの縫い目のない同じ場に織り込まれている、ということを知っているんです。
悟った人は、このことをよく、「この世界は1つのタペストリーだ。」と言いました。
タペストリーを見て、その織り重なっている1本1本の糸を見る人はいないと思います。ほとんどの人たちが、それぞれの糸の個性が織り重なっていることは認めても、1つのタペストリーとして認識することでしょう。
ワンネスとはつまり、タペストリーに織り込まれている1本1本の糸の個性の違いを認めつつも、この1つのタペストリー全体こそが自分自身であり、宇宙そのものであると見抜くということなのです。
科学で証明されつつある「ワンネス=真理」
じゃあ、そんな真理であるワンネスですが、非常にスピリチュアルな言葉として認識されることも多いですが、最近では、科学的にもこのワンネスこそが世界の真理である、ということが証明されつつあります。
古生物学者兼地質学者であったティヤールド・シャルダンはこの世界の真実に関して、宇宙の素材はそれ自体、分割できるものではなく、一種の巨大な原子のように、全体として唯一不可分に形成されていることを発見しました。
「シュレディンガーの猫」という実験で有名な理論物理学者のシュレディンガーもまた、あらゆる考察的な実験を経て、この世界は本質的には一切分離していないという結論に至りました。
そのようにして今、多くの量子物理学者たちが、この世界は本質的には分離していない。ということに気づき始めているのです。
ただ、その科学的に明らかになりつつある真実はインドなどの東洋ではるか昔から言い伝えられてきた、「悟りの教え」と全く同じでした。
イエス、ブッダに始まり、ラマナ・マハルシや、ニサルガダッタ・マハラジ、ニーム・カロリ・ババといった東洋の聖者が語る叡智と全く共通していたのです。
つまり、最先端の科学で判明しつつある驚愕の事実を、数千年前から見出していた人々がいたのです。
その中には、一切無学の貧しい家出身の人もいました。でも、彼らが語る叡智はいつでも、どんなに賢い学者よりも深い、宇宙の根源に迫るものであったと言います。
ワンネスは、どんな知性も権力も超えた、非常にシンプルな真理なのです。
終わりに
以上、今回はワンネスについて色々掘り下げて詳しくお話しさせていただきました。
かなりディープな本質に迫る内容となりましたが、いかがだったでしょうか?
最後に、内容を簡単にまとめます。
- ワンネスとは、全てが1つの無境界の世界を指す。
- ワンネスを見出す=分離の根源である概念からの解放
- 人が苦しむ根源的理由=二元的世界の誕生
- 二元という相容れる事のない対立全体が、人類にストレートに降りかかった
- ワンネスとは非二元(悟り)の境地
- ワンネスは悟りと同義語でもある
- 最も強固な概念は、「私」と「私以外の何か」
- 世界は1つのタペストリーのように分離なく繋がっている
- 科学者たちもワンネスが真理であるということに気づき始めている
ワンネスを理解するために、魔術を使ったり、手品をしたり、霊視をする必要一切ありません。
ワンネスはいつでもあなたの真実として、目の前にあるのです。
あなた自身もまた、真理そのものです。
そして、その単純かつ純粋な自覚こそが、目覚めの始まりなのです。
だからこそ、二元の世界が幻想であるというその気づきこそが、全ての始まりなのです。ワンネスを見出していく始まりです。
二元という幻想を根絶することはできません。それらは依然として変わらずにあり続けるでしょう。
ただ、幻想を根絶することはできませんが、幻想を幻想として見破ることは可能です。
それはまるで、怖い虎の仮面を被ったシャドーの正体を暴くような感覚とも言えるかもしれません^^
それでは、今日はこの辺で。
愛を込めて。
リリ