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リリ
目覚めの案内人
純粋な非二元(悟り)の観点から心のセラピストとして活動しているリリです。
幼い頃から、この世界への諸行無常感を抱え、極度に繊細で敏感(HSP)な自分に生き辛さを感じいました。20代の時に訪れた絶望を機に悟りの探求を始め、一瞥・覚醒を数度体験。
セッションでは表面的な改善でその時だけの状況を変えていくのではなく、より本質的かつ根本的な改善方法に導くことを心がけています。
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繊細すぎて生きづらいというあなたへ

ハートの容器の中に入ったデイジーの花

こんにちは。リリです。

時にふと、「生きづらい世界だなあ」と、感じることがないでしょうか?生きづらさは特に、繊細な心を持っている人が感じやすい感覚だと思います。

加えて、現代の日本社会が抱えている問題として、自殺率の高さが挙げられます。そんな病んだ社会の中では、生きづらさを抱えている人が多いのもある意味で当然かもしれません。

かくいう私も、まさに生きづらさを抱えて生きてきた人間の1人です。
毎日が生きづら過ぎて、「どうして私はこんなに繊細に生まれてきたのだろう?」と自身の生まれ持った心の繊細さを恨んだこともありました。

ですが、あらゆる経験を経たことによって、そうした繊細性や生きづらさは”幸福な人生に向けてのとっておきのギフト”でしかないことに気がつきました。

よって今回は、そんな自身の実体験による気づきなども含めて、「繊細な人が感じやすい生きづらさ」に関して、その原因や対処法について、詳しくお話していこうと思います。

この記事を読むだけで、自身の生きづらさの原因が深い部分で理解できるような、そんなかなり濃い内容となっていますので、是非読んでいただけると幸いです。

それでは早速いきましょう^^

目次

生きづらさってそもそも何?

白い風景

最近はよく、「生きづらい」というワードがメディアにも取り上げられますが、この生きづらさとは、そもそも何なのでしょうか?まずは、生きづらいというワードの意味合から見ていきます。

生きづらさとは、言葉のまま解釈すると、「生きるのが辛い」ということになります。
つまり、「生きづらさ」とは、生きていくことが辛い、大変、困難であると感じるその感情を指しています。
それに加えて、その要因となっているもの原因を指すこともあるでしょう。

思えば私は、非常に幼い頃から、この生きづらさを抱えたいたように思います。小学生だった当時、自分でつけていた日記を見返したところ、「生きるのが辛い。死にたいわけじゃないけど生きることはとても大変で辛いことに思える。」と、そんな内容を書いていた時期がありました。

そして当時は、そんな自身の抱える生きづらさを、自分自身と外側の世界、どちらのせいでもあると考え、両方を責めていたように思います。

そんな実体験から私は、生きづらさには、大きく分けて以下の2つのニュアンスが含められていると感じています。

外的な要因による生きづらさ

まず1つ目は、自分の外側にある生きづらさです。つまり、生きづらさの原因が生きづらいと感じている人の中(心など)ではなく、外側にある、という状態です。ちなみに、この外側は、「社会」を指すことがほとんどです。

「生きづらい世の中だ。」といった感覚になるとき、その人は外的な要因による生きづらさを感じています。

社会の影響で生きづらさを感じるその原因は沢山存在します。例えば、差別、ハラスメント、労働条件、同調圧力、外見至上主義社会、個性を認めない学力主義の教育制度などなど…。繊細な人にとって、「根性」や「集団意識」が重視されてきた日本社会は、生きづらい社会と言えるかもしれません。

そうして外側に生きづらさの原因があるという見方をする時の生きづらさは、外側に責任を求める視点(他責視点)や、自分を不必要に責めない視点をもたらす事となります。

内的な要因による生きづらさ

上記と対照的に、自身の内面による生きづらさもあります。つまりは、自分の身体や精神が抱える苦しみや苦悩です。例えば、繊細が故に心を閉ざしてしまって生きづらい、感受性が豊かすぎて生きづらい…など。

外側にある生きづらさが、社会に責任を求める視点なのに比べて、内側にある生きづらさは、自分自身に責任を求める視点だと言えます。つまり、自分自身に問題があるとする視点です。

そんな内的な生きづらさの原因となるものは大きく分けて3つ、あります。

1つ目:肉体的生きづらさ

肉体的生きづらさは、自分の容姿に関する悩みや、病、身体の障がいなどによって抱える苦しみです。肉体的な生きづらさは先天的なものも多く、なかなか解決が難しいため、時にはその苦しみが、3つ目の「本質的生きづらさ」へと繋がることもあります。

2つ目:心理的生きづらさ

心理的生きづらさとは、ネガティブ思考だったり、悲観主義といった生きづらさや、心を閉ざしてしまうが故に生じる生きづらさなどを指します。この心理的生きづらさによる問題は、いまの時代、特に取り上げられているように感じます。

例えば「自己肯定感の低さ」であったり、「ネガティブ思考」であったり。
そうした問題を克服するための本が、最近はたくさん出版されています。

しかし、この心理的生きづらさは最終的に3つ目でご紹介する「本質的生きづらさ」を克服しないことには完璧に取り除かれることはないでしょう。

3つ目:本質的生きづらさ

3つ目の本質的生きづらさに関しては、実は全ての人が深層心理で抱えている生きづらさだと言えるかもしれません。

「人はなぜ死ぬのに生きるのか?人はなぜ苦しむのか?人生の本質的な意味とは何か?」といったような、非常に深い部分から湧き出てくる問いかけです。

この答えを明確に出してくれている本はそう多くはありません。多くの人がこの問いへの答えに関しては謎のままなのです。

繊細な人の多くが、上記3つ全ての悩みを抱えていることが多く、私自身もそうでした。その中でも特に深刻かつ根本的問題となっているのが3つ目の本質的生きづらさだと言えます。

これは、自分の本質を知ることでしか癒えることのない生きづらさであり、だからこそ、私は日々、以下のような、この世界の本質をストレートに伝える教えである「悟り」に関する情報を発信しています。

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以上が、「生きづらい」という言葉が持ち合わせている2つの側面です。

社会一般的に使われる「生きづらさ」は、この片方だけにフォーカスを当てている場合もあれば、両方であることもあり、使い方によってはまったく意味合いが変わることもあると感じています。それによって、誤解を招くこともあるでしょう。

繊細な人の多くはどちらの要因も感じていることが多く、内的な要因による生きづらさによって自分を責め、外的な生きづらさに対して孤独感を抱いている方が多い印象です。

繊細すぎる人が生きづらい10の理由

では次に、繊細すぎる人が生きづらい理由をご紹介します。

私は個人的にその理由は大きく分けて以下の10個に分けられると感じています。

繊細すぎる人が生きづらい10の理由

<外的な要因>
①周りに理解者・共感者がいない
②外界(周囲の人・音・匂いなど)に影響を受けやすい
③優しすぎて他者に利用されやすい、ナメられやすい
④日本の社会(集団意識)にうまく適応できない

<内的な要因>
⑤恐れや不安や傷を感じやすい、傷つきやすい
⑥あらゆることに敏感に気づきやすい
⑦感受性が強すぎる
⑧ストレスに弱い
⑨あるがままの自分を表現できない
⑩生きる意味を見出せない

今回、わかりやすいように外的な要因と内的な要因に分けてみました。
生きづらい理由はたくさん存在しますが、その中でも特に、繊細すぎるが故に、抱えやすい理由だけをご紹介させていただいています。

どうでしょうか?思い当たる節が沢山ある方も多いのではないでしょうか?ちなみに、以前の私はこの10個全てに当てはまっていました。

理由を知ることができれば、その解決策を考えることができます。よって、まずは自分がどの理由に当てはまるのかを考えることが大切です^^

また、この理由に関しての詳しいご説明は以下の記事で記載しています。今回の記事と相互的な理解を生む内容となっていますので、ぜひ読んでみてください。

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私が生きづらさを感じた実体験

窓辺に座る女性
前述したように、以前の私は上記の10の理由の全てに当てはまっている「超」のつく繊細人間でした。言い換えるならば、強度のHSP、生き辛さマックス状態で生きていたのです。あまりの生きづらさに「生きてるだけで褒めて欲しい。」と、そんな感覚になることもしばしばでした。

ある時、人の潜在意識の苦しみを察知できる方に「あなたの心はガラスのハートよりも脆い、薄はりの1ミリの氷のようだ。まるで怯えた小動物です。」と例えられたこともあります。

そんなわけで、超繊細人間だった私は、幼児期くらいから生きづらかったように思います。物心ついた頃から、「人は死ぬのになぜ生まれてくるのだろう?そこには一体何の意味があるのだろう?」といった疑問があり、本質的な生きづらさを抱えていました。

生きづらさは年齢を経るごとにどんどん強くなっていき、20代になった頃には、肉体的生きづらさ(醜形恐怖)、心理的生きづらさ(ネガティブで悲観主義)、本質的生きづらさ(生きる意味の不明さ)の全てを抱えこみ、生きることにほとほと疲れ果てていたように思います。

また、今回は他にも自分は繊細すぎると感じている方にそのリアルな声を聞いてみました。

繊細すぎる人たちの生の声

仕事上、沢山の方とお話する機会があるので、許可をいただいて、「自分は繊細すぎる。」と感じている人たちが実際、どんな生きづらさを抱えているのか、インタビューをしてみました。今回、2名の方の生の声をシェアさせていただきます。

30代男性・Hさんの場合

リリ

どんな時に自分の繊細さによる生きづらさを感じますか?

30代男性Hさん

子どもの時から、他者から影響を受けやすく、生きづらさを感じることが多かったです。1人の時間を持って回復する時間が必要でした。

リリ

繊細な人は1人の時間を持つことがとても大切ですよね。他者からの影響とは、具体的にはどんな感じなどありますか?

30代男性Hさん

他者との衝突などは特に疲れます。
冷静な話し合いは好きですが、感情のぶつけ合いは、とても苦手です。他にも、普通の人は気づかないような細かいことに気づきやすいので、そうした点も生きづらさの大きな要因になることがあります。
精神的な気疲れが多く、その結果、体力的にも疲れやすいので、生きづらさを感じることが多くありました。

Hさんは他にも、子ども時代、汗の感覚が嫌すぎてストレスを感じていたことや、疲れた時、音に過敏になりノイズが入ってくると大きなストレスがかかると言うことを教えてくれました。

20代男性・Yさんの場合

リリ

どんな時に自分の繊細さを感じたり、それによる生きづらさを感じますか?

20代男性Yさん

ニュースなどをみるのがとても苦手です。
暗いニュースなどをみると、大きく影響を受けてしまい、生きづらさを感じることが多いです。ニュース自体、普段からあまり見るのは得意ではありません。

リリ

教えてくださってありがとうございます。
外的な影響を強く受けるのですね。他には生きづらさを感じる瞬間など、ありますか?

20代男性Yさん

自分が興味が湧く対象物が基本的に少数派である気がします。
芸術的な要素が強かったり繊細な感性による作品(音楽等)を愛する部分があるのですが、そうしたことへの深い部分での理解者、共感者は少ないです。そうした時、寂しさや生きづらさを感じます。
また、自分はストレスがもろに体調に出やすく、ストレスへの耐性があまりありません。すぐに体調を崩してしまうので、そんな繊細さも生きづらさの要因の1つです。

以上、自分は繊細すぎると感じている2名の方のリアルなご意見でした。繊細すぎるが故に、孤独を感じている方の苦しみが少しでも和らげば…という思いで、今回シェアさせていただいたのですが、いかがだったでしょうか?

私自身、とても共感することが多く、何度も頷きながら聞かせていただきました。

もし、他にも、「自分も繊細すぎて苦しかった」というエピソードをシェアいただける場合、以下のアドレスに送っていただけると幸いです^^

体験談シェアのご連絡先

繊細すぎる人が生きづらさから解放されるには?

暗闇の中にさす光のトンネル

では、繊細すぎる人が生きづらさから解放されるにはどうしたら良いのでしょうか?ここが最も重要なポイントだと思います。

大切な要素は以下4つです。特に重要な要素に「重要」と記載させていただきました。

生きづらさから解放されるための4つのポイント
  1. 自分に向いている生き方を尊重する
  2. 少しづつ、あるがままの自分を許していく
  3. 周りの人に本音を打ち明けてみる
  4. 重要:自分の本質は何かを知る

それぞれ、説明していきますね。

1:自分に向いている生き方を尊重する

繊細な人にとって大切なのは、「無理をしないこと」です。無理をすると、普通以上に身体的にも精神的にも影響を受けやすいので、なるべく自分が繊細さを大切にしながら生きていける方法を探してみることが大切です。

繊細であるが故に、ストレスに弱かったり、疲れやすかったり、沢山の苦労があるかもしれません。ですが、そんなあなただからこそ、輝ける場所が必ずあります。

実際、それらは社会に生きる上で弱点であるかと言えば、必ずしもそうとは言えないのです。以前、私は尊敬する中学時代の塾の先生にこんな風に言われたことがありました。

「ストレスに弱いことは良いことだ。自分の状態にすぐに気づけるから。気づかない方が危ない。」

当時は、その意味がいまいち理解できませんでしたが、今は全く先生の言う通りだと思います。というのも、ストレスへの耐性がなかった分、比較的若いうちから自分に向いていることを真剣に考えることができたし、そのおかげで今は、好きなことを仕事にすることができています。その結果、無理をして普通のOLをしていた時代に比べて、随分と生きやすくなりました。

よって、繊細な人は、無理をせず自分にあった生き方を模索することで、外的な要因としての生きづらさ(日本社会による生きづらさ)が薄らいでいくと感じます。

2:少しづつ、あるがままの自分でいることを許していく

繊細すぎる人がよく考えてしまうのが「繊細な自分ではいてはいけない。」というような自己否定的思考です。実際、検索エンジンで「繊細」と調べると、複合キーワードで「治す方法」などと出てくることがあります。

根性論が染み付いた日本社会では特に、そうなってしまうのもしょうがないように感じます。以前の私も、繊細に生まれてきた自分をたくさん責めて生きていたので、自分を否定してしまう気持ちは非常にわかります。

ですが、繊細なことは決して、いけないことではありません。むしろ、素晴らしいことです。

というのも、繊細さとは、底知れぬ優しさの源泉や、感受性の豊かさや、色々なことに敏感に気づく「気づきのパワー」でもあるからです。繊細性は無理に手に入れようとしても難しく、本来、素晴らしい天性のギフトとも言えるものです。
実際、ほとんどの素晴らしい芸術は、非常に繊細な感性から生み出されます。

よって本来、繊細さとは恥ずべきものでも否定すべきものでもなく、誇りにして良いものなのです。

だからこそ、繊細すぎるあるがままの自分を受け入れて許していくことも非常に大切な要素となってきます。ただ、そう簡単なことではありません。

よって、難しく感じる瞬間も多々、訪れるかもしれませんが、上記した内容を意識しておくだけでも、あるがままの自分を否定するループから抜け出すことはできます。そうして自己否定をやめて、あるがままの繊細すぎる自分でいることを許していくことによって、生きづらさが和らいでいきます。

3:周りの人に自分の本音を打ち明けてみる

3つ目は、2つ目のあるがままの自分でいることを許す。に繋がる内容です。
周りの人にも自分のあるがままの姿や本音を打ち明けてみることで、孤独感が消え、生きづらさが和らいでいくことがあります。

これは、もし今まで無理をして周りの人たちに合わせて偽りの自分で生きてきた場合、勇気を要する行動かもしれません。私もまさにそうでした。

ですが、果たして自分は無理をしている自分を好きと言ってくれる人と仲良くしたいのか、それともあるがままの繊細すぎる自分を好きと言ってくれる人と仲良くしたいのか、真剣に考えてみたら、どうでしょうか…?魂部分での答えが、みえてくるのではないでしょうか?

もちろん、世の中は繊細すぎる自分を受け入れて愛してくれる人ばかりではありません。ですが、そんなあなたを素敵だと感じて愛する人は必ず存在します。

そのためにも、あるがままの自分でいることを自分に許していく必要があります。私も、強がる自分をやめて、本当の自分自身を生きるようになってから、そんな私を好きと言ってくれる人が集まり始めました。
そして、そんな人達との交流は、非常に気楽で温かく、深い繋がりを感じると気がつきました。

そんな本当の自分を受け入れてくれる人たちとの交流は、自身の生きづらさを”愛”に昇華させる素晴らしい方法です。

重要 4:自身の本質は何かを知る

最後に、最も重要な要素となるのが「自身の本質は何かを知る」ということです。

生きづらさを感じている人は皆、最終的にはここに行き着いていくしかないことに気がつくこととなります。ただこれは、繊細すぎる人だけではなく全ての人類に言えることです。

地球上に存在するほとんどの人類が何らかの苦悩を抱えており、その解決方法は、今抱えている悩みを解消することだと信じています。しかし、1つの問題が解決すると、今度は別の問題が生まれます。そうして問題→解決を繰り返して、いつのまにか人生を終えていくのです。

そんな人生という生と死のサイクルの諸行無常さや、不変性のなさに対して、生きづらさを抱えるのはある種、当たり前のことかもしれません。そんな生まれながらに持ち合わせた苦しみから解放されるには、自身の本質は何かを知るしかありません。

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自分の本質を知った際には、生きづらさは必然的に無くなっていきます。というのも、生きづらい自分という「個人」ではなく、「自分とは世界であるという全体性」が新たなアイデンティティとして見出されていくからです。それを一般的には「悟り」「悟りの境地に至る」と言います。

最後が非常に究極的なお話になりましたが、本当に生きづらさから解放されたいと願うならば、必ずいつしかここにたどり着いていきます。

私が生きづらさから解放された理由

両手を広げる女性

私がそれまで抱えていた生きづらさから解放された理由、それは上記4つを地道に実践していったから…ということに尽きます。

非常にシンプルですが、上記した4つが、それまでの私に圧倒的に足りていなかった自分への愛や他者への愛の重要性を気づかせてくれました。その結果、生きづらさが愛によって癒されていきました。

よく、「愛が全て」と言いますが、本当にその通りだと痛感した時期でもあります。それまで20数年間苦しんできた生きづらさから解放されたのですから。

具体的には、自分の正直な気持ちに嘘をつかなくなったり、あるがままの繊細すぎる私を許して受け入れるようになったり、そんな自分を慈しむなど、愛を注ぐようになりました。あるがままの自分を信じるようになったとも言えます。

ただ、自分に愛を注げば注ぐほど、繊細さは増していっていきました。
というのも、苦しみが癒され、心がオープンになっていけばいくほど、自分を防御することが減り、傷つきやすくなっていったからです。ですが、それは悪いことではなく、とても良いことでした。

というのも、自分が繊細になればなるほど、人に優しくなれたし、世界に静かに存在している愛にも気がつけるようになったからです。それまで以上に繊細になった分、真の愛の重要性に気がつくことができるようになりました。

真の愛とは無条件の愛であり、この愛こそが、繊細すぎる人に最も重要なカギとなる。とそう、断言できます。

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終わりに

以上、今回は繊細すぎて生きづらいと感じている人に向けて、色々お話させていただきました。いかがだったでしょうか?

私自身が非常に繊細で生きづらい思いを長い間抱えてきたので、その苦しみは本当に痛いほどわかります。あまりの生きづらさに、死ぬことよりも生き続けることの方がよっぽど大変だ。とそんな風に思うことさえ、ありました。

ですが、今となってはそんな自身の繊細さに心から感謝するほどには、生きづらさから解放されています。それも全ては、今回お話した内容を実践していったからです。

特別な何かを行なったというわけではなく、ただシンプルに自分をあるがままに愛し、癒していきました。そのためには自分の使命は何かを探ったり、インナーチャイルドを癒したり、ハイヤーセルフと繋がったりなど、あらゆるプロセスを通りましたが、全てが愛を軸とした浄化であり、とてもシンプルなものでした。

よって、今生きづらさを抱えているあなたも、必ずやその生きづらさから解放される日がやってきます。そのためにカギとなるのは、あるがままのご自分に対する愛です。

ちなみに、自分を愛するための方法に関しては、無料メルマガ講座「愛による人生変革講座」や、ノンデュアリティセッションでお伝えしています。

興味のある方はぜひ、学んでみてくださいね^^

それでは今日はこの辺で。

愛を込めて。

リリ

ハートの容器の中に入ったデイジーの花

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