こんにちは。リリです。
時に人生には、辛いこと・辛い感情が襲ってくることがありますね。その結果、愛に対して心を閉ざしてしまう事もあります。
この世界は怖い場所だ、そう思ってしまう事もあるでしょう。
ですが、本来地球は怖い場所ではありません。辛い出来事・辛い人生には必ず意味があります。
辛い人生のスピリチュアルな意味
なぜ、人生は時に、私たちに辛い経験を与えてくるのでしょうか?
どうして人生とは辛いものだ、と感じている人がこんなにも多いのでしょうか?
その理由がわからないと、ただただ辛くて、神様が意地悪に感じられて、その負のループをぐるぐるしてしまう事も少なくありません。
ただ、スピリチュアルな学びを進めていくと、辛い人生には必ず意味があることに気づいていきます。
殆どの場合、人生においての辛い経験の原因は大きく分けると、以下の3つ殆どです。
- 自分の成長を促してくれている。
- カルマの清算のために起きている。
- 愛から離れている自分の要素を見せてくれている。
そしてこの3つは互いに関連し合ってる事も多いです。
自分の成長を促してくれている。
「辛いことを経験したぶんだけ、大きな未来が待っている。」
私はそう信じています。
というのも、これまでの人生を振り返ると、辛い体験こそが私に「謙虚さ」と「感謝」と「優しさ」を学ばせてくれ、かつ「強さ」を育み、それによって人生が好転していったからです。
心の態度に変化がもたらされ、私の人生は、それまでとは180度違うより美しく楽なものへと変わっていきました。
例えば、「頑張れない奴は怠惰なだけだ。」という偏見を持っている人がいるとしましょう。
そんな偏見を持った人の場合、自分がその”頑張れない奴”になった時、その批判の目が一気に自分に向けられることになります。
それはとても惨めで辛い挫折体験です。
でも、そうやってもがいて結局、どうしても頑張れない自分を受け入れた時、その人はやっと、自分を許すことができ、今まで自分がとても偏見的な目で人々を見て、時に人を傷つけていたことに気づきます。
その気づきは傲慢さを取り除き、柔軟性と謙虚さをもたらし、その結果、人生は優しさを帯び、人にも自分にも優しく出来る様になります。
カルマの清算のために起きている。
人間関係でのトラブルが起きた時、そこにはカルマが関係していることがあります。
カルマとはたくさんの前世の中で行ってきた行動・関係上の課題を今世に引き継ぐものです。
前世で天敵同士で戦っていた2人が今世でもまた出会い、また同じ関係となる、といったこともあります。
じゃあ、このカルマはどのようにして消失するか?といえば、「課題を克服する=心の傷を癒す」ことで消失していきます。
カルマはいわば”感情の負債”です。
例えば、「あの時なんであんなことをしてしまったんだろう…。」というような後悔の念から生まれたカルマは、自分への思いやりという愛で消失します。
「あの時の自分にできる限りのベストを尽くしたじゃないか。だからもう自分を許そう。」
そんな風に自分に慈悲を向けることで、後悔という念は自己受容という愛に昇華されてカルマも消失します。
そのように、あらゆる感情の負債は「自分の心の傷・モヤモヤ」を愛によって癒すことで消えていき、その結果、人生に同じパターンが繰り返されることもなくなっていきます。
愛から離れている自分の要素を見せてくれている。
「愛」は「調和と平安」をもたらし、「闇」は「不安と苦しみ」を生み出します。
この世界は愛の学び場です。
私たちは、魂の成長・進化のためにこの地球に存在しています。
この成長・進化は無条件の愛によって起こります。
だからこそ、私たちの意識が愛から離れてしまっているとき、人生はその闇の部分に光を照らすために試練をもたらします。
それは意地悪ではなく、あなたの意識を愛に目覚めさせるためです。
しかし、私たちは小さいころ、あらゆる方法で「自分の感じ方や考え方は間違っている。つまり、ありのままの自分には欠点があり、ありのままでは愛されない。」ということを学びました。
子供は驚くほどに純粋な存在なので、それらを素直に受け入れました。
その結果、多くの人が他者の承認によって自分の価値を決めたり、他者をジャッジしたり、自分を褒めたりするようになりました。
そんな生き方は、たくさんの「〜すべき」を生み出し、それを他者にも押し付けます。
例えば以下のような感じです。
・私は気が利く自分でいるべき
(→気が利かない奴はダメな奴だ)
・仕事ができる自分でいるべき
(→仕事ができない奴はダメな奴だ)
・怒らずにいつもニコニコしているべき
(→怒る奴はダメな奴だ)
・全ての人を愛するべき
(→嫌いな人がいることは悪いことだ)
・親の言うなりにするべき
(→自分の望む人生を生きるのは悪いことだ)
・お金を稼ぐことは悪いことなので清貧に生きるべき
(→お金を稼いでる人は悪い奴だ)
他者から受け入れられるのは一時的には素晴らしい感じがしますが、それが幸せの鍵ではありません。
というのも、これは愛ではなく「あるがままの自分への抵抗・拒否=闇の誕生」だからです。
あるがままの自分を愛し許し受け入れるまで、私たちは自己受容の欠如部分を他者からの承認で満たそうとして、時には他者を批判して、その結果、心も身体も疲弊していきます。
そうした「〜すべき」が増えていき、それらの完璧性を求めていく事は、私たちに絶え間ないプレッシャーを生み出し、喜びや創造性を蝕みます。いつもモヤモヤとして苦しい状態です。
そして時に、これら自分が持ち合わせていた「〜べき」の要素を、他者が見せてくれることもあります。
この世界には鏡の法則が渦巻いていますので、「あなたはとてもダメな奴だ!ーな所がダメだ!〜な所もダメだ!」とそんな風にあなたを批判するのです。
1人だけじゃなく、多くの人がそんな風に言ってくることもあるかもしれません。自分そのものが否定されたような感じがして、とても辛い状況ですよね。
ですが、私たちがあるがままの自分を受け入れられるようになればなるほど、こういった人間関係のトラブルは消失していきます。
というのも、世界は自分の内面の現れだからです。
そうして自分が完全に、自分のあるがままを受け入れるようになれば、他者からの承認はもはや必要なく、批判も一切気にならなくなり、その結果、貴方はのびのびとあるがままに自分を許し生きるようになります。
全ては愛を軸に起きている。
辛い出来事には以下のスピリチュアルな意味があるとわかりましたね。
- 自分の成長を促してくれている。
- カルマの清算のために起きている。
- 愛から離れている自分の要素を見せてくれている。
じゃあどうしてこうした意味を持つ体験が私たちに定期的に訪れるのか…。
それは、貴方がより本当の愛…つまり、「〜べき」の一切ない、無条件の愛の存在になって幸せになるため(=悟りを開くため)です。
自分の成長も、過去世のカルマの清算も、愛から離れた自分の要素を見せてくるのも、全ては、貴方が愛に癒されるためです。
全ての問題が以下のように無条件の愛によって癒されます。
自分の成長を促してくれている。
→未熟さは自他への愛によって成熟さへと変わる。
カルマの清算のために起きている。
→愛に心を開いてカルマを消失させる。
愛から離れている自分の要素を見せてくれている。
→愛(受け入れ・許し)を学ぶことによって愛のあり方に近づく。
全ての辛い出来事がもっとも深い部分では愛を軸に回っています。
どんな悲惨な出来事でも愛を軸に回っています。
アメリカの覚者エックハルト・トールはそうした真実をこう表しました。
この真実に気づいた人は幸いです。
全ての辛い出来事が自分の愛の欠如部分を見せてくれているだけだと気がつけば、あとは自分を愛に開いていくだけでいいからです。
貴方はもう幸福への切符を手にしたも同然なのです。
辛い人生をどう過ごしていくか?全てはチャンスでしかないと知ろう。
じゃあ辛い人生は、具体的にはどう過ごしていけばいいでしょうか?
まず、どんな辛い状況においても大切なのが、傷ついた心を大切に慈愛を持って扱う、ということです。
傷をほったらかしにして、平気なふりをする必要などありません。辛い感情や恐れ、不安、怒り、傷などを素直に認めてください。
そして、その上で愛を再び受け入れるようになる方法を探してください。その際に以下の記事も参考になるでしょう。
辛い人生はあなたが今まで愛から離れていた部分を愛に溶かして癒すチャンスでしかありません。
ですから、辛い人生はチャンスと思って、少しづつでいいので、愛に心を開いていきましょう。
さいごに…
今回の内容をまとめます。
- 辛い人生の意味は大きく分けて3つある。
1:自分の成長を促してくれている。
2:カルマの清算のために起きている。
3:愛から離れている自分の要素を見せてくれている。 - 全ては愛を学ぶために起きている
- どんな悲惨な出来事でもその軸は愛である。
- 辛い時は傷を抱えた自分を慈しむことがまず何よりも先
- 辛い人生では、傷を受け入れて愛に心を開いていくことが大切。
以上が今回の内容でした。
いかがだったでしょうか。人生には時に試練のように思える苦しみが襲ってくることもあります。
そんな辛さによって心を閉ざしてしまうのも無理はありません。
ですが、自分の傷を受け入れて心を開き、無条件の愛を受け入れた時に初めて、辛い状況というのは根本的に癒されていきます。
ご自分のペースでいいので、そのことを胸に刻んで日々を過ごしてみてくださいね。
それでは今日はこの辺で。
愛を込めて。
リリ