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リリ
目覚めの案内人
純粋な非二元(悟り)の観点から心のセラピストとして活動しているリリです。
幼い頃から、この世界への諸行無常感を抱え、極度に繊細で敏感(HSP)な自分に生き辛さを感じいました。20代の時に訪れた絶望を機に悟りの探求を始め、一瞥・覚醒を数度体験。
セッションでは表面的な改善でその時だけの状況を変えていくのではなく、より本質的かつ根本的な改善方法に導くことを心がけています。
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【非二元】あなたが時空を超えた「気づき」を見出す為に

女性の目

こんにちは。リリです。

今日は、非二元(ノンデュアリティ)不二一元論(悟り)を学ぶ上でよく登場する言葉、「気づき」についてお話します。

「気づき」という言葉は、一般的に色々な意味を含んだ言葉です。

例えば、目の前にコップがあるのに気づく。という風に”認識している事”としての気づきだったり、新しい可能性に気づく。という風に”発見する事”としての気づきだったり…。

「気づき」という言葉の意味は1つではありません。

そして、非二元・不二一元論(悟り)でよく使われる「気づき」が指し示しているものは、これらの「気づき」とはまた、全然違うものです。

ただ、非二元・不二一元論(悟り)における「気づき」は、悟りの教えの中でもっともよく使われる言葉でもあるので、悟りを探求し、真の幸福を見出したい方は、是非知っておいて欲しい部分です。

よって、今回は非二元・不二一元論(悟り)における「気づき」とは一体何なのか、お話していこうと思います^^

それでは早速行きましょう。

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目次

非二元における「気づき」とは?

非二元における気づきとは、真理そのものを指し示しています。

この「気づき」に関して、最もわかりやすい表現をしているのが、イギリスの覚者、ムージや、その師匠であるインドの覚者パパジです。


あなたは物事や観念に”気づいていることに気づいているそれ”なのだ。

あなたは”気づきよりもさらに沈黙したそれ”なのだ。
あなたは命という概念に先立つ命なのだ。
あなたの本質は沈黙であり、それは獲得できるものではない。
それは常に在る。

ーパパジ(絶対なるものの息より引用)

全ての疑いと妄想を払い去り、マインドの本来の状態をもたらすー存在以前の気づき

これが真理です。

ームージ(絶対なるものの息より引用)

「気づいていることに気づいている?存在以前の気づき?なにそれ?」

もし、そんな風に感じたとしてもそれが私たちの思考の通常の反応なので、何の問題もありません。

ただ、この気づいていることに気づいているそれ、存在以前の気づきこそが、まさに真理そのものを指し示しています。

私たちに思考を完全に沈黙させ、全ての概念を超えたところに見出される「気づき」、時空を超えた「気づき」を指しているのです。

時空を超えた「気づき」ってなに?

では、時空を超えた「気づき」(=真理)とは一体、何なのでしょうか?

それは、”本当のあなた(真我)=気づき”であり、マインドや身体の活動から一切影響を受けることのないものです。

「気づき」はあなたから離れることは一度もないし、あなたそのものです。

ただ、マインド(思考・自我・エゴ)がそれを見えなくしています。

ですが、本来、あなたが寝ていようと起きていようと、目を開けていようと、閉じていようと、この「気づき」には何の影響も変化もありません。

この「気づき」感情でも概念でもないので、良いも悪いも善も悪も全て超越しています。

もし、私という感覚が、「個人の私が消えて、ただ在ること」として直感的に示されている時があるとしたら、その時あなたは、この「気づき」と一体です。

母親・父親・息子・娘・宗教、、、そんな一切の役割を演じることをやめた真なる私…これこそが非二元・不二一元論が指し示す「気づき」であり、”存在を超えた絶対なるもの”なのです。

「気づき」は私たちの魂の真の故郷とも呼べるでしょう。

マインドを鎮めて気づきを見出す方法

横を向く美しい女性

この時空を超えた「気づき」はどのようにして見出すことができるのか…。

この問いかけは、言い換えれば、本当の自分に還っていく方法(悟り)を意味しており、全人類の永遠のテーマでもあります。

まず、はっきりとお伝えできるのは、この非二元・不二一元論における「気づき」は、確実にマインド(思考)では見出すことができない、ということです。

というのも、真理は、思考を超越したものであり、思考でいくら勉強したとしても、考えて見出せるものではないからです。

よって、どんなに思考が優れていたとしても…例えば、ハーバード大学をトップで卒業したとしても、真理にたどり着くことなどできません。

そんな中、悟りを探求する人々を導く覚者が伝えるのは、以下のような質問です。

「気づいているものは気づかれることができるのか?」
「私は誰か?」

これらの問いかけはマインドで答えを出すことができません。

直感的理解でしかありえません。

そして、そんな直感的理解が訪れた時、その人は気づきそのものです。

また、他にも気づきを見出すための試みは以下の記事で詳しく記載しているので、ぜひこちらの記事も読んでみてください^^

終わりに

今回は非二元・不二一元論における「気づき」に関して説明させてもらいました。

いかがだったでしょうか^^

思考では理解できない境地なので、非常に難しく感じた方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、もし、あなたが思考を外して、ただただ無我になって「気づきとは何か?」を黙想するならば、その時は驚くべき内的発見が起こるかもしれません。

この「気づき」こそが世界の全てであり、本当の私であり、本当のあなたです。

ブッダやイエスはそんな「気づき」を何千年も前に見出しました。

ただ、今は、目覚めの時代(アセンション時代)とも言われている霊的に素晴らしい時代です。よってこの真理を見出す、ということ自体、今はもう特別なことではありません。

ブッダやイエスが特別なのではなく、同じように気づきという真理を見出す人が驚くほどに増えて行っているのです。

なので、特別な人にしかわからない、難しいことと拒否するのではなく、ぜひ、好奇心を持って真理にフォーカスをあててみてください。

そうして、やがては「気づき」への恩寵が、あなたにも訪れますように。

愛を込めて。

リリ

女性の目

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