こんにちは。リリです。
インドでタバコを売る商人として生活する傍ら、世界中から教えをこいにくる人々に悟りを説いていた聖者、ニサルガダッタ・マハラジをご存知でしょうか?
ニサルガダッタ・マハラジは「覚醒の巨匠」と呼ばれ、彼の対話内容を納めた本「I AM THAT」は、インドを超えて世界中で読まれる本となり、「現代随一の聖典」と絶賛されました。
ちなみに、私も「I AM THAT」を持っているのですが、偶然にも、イギリス人の友人Julineも同じ本を持っており、いかにニサルガダッタ・マハラジの教えが世界に普及しているかがわかります。
日本とイギリスでは表紙のデザインが随分と違いますが同じ本です。
そんな世界中で愛されるニサルガダッタ・マハラジとは、一体何者なのか、今日は詳しく紐解いていこうと思います。
タバコ売りの聖者 ニサルガダッタ・マハラジとは?
この優しい微笑みを携えた男性こそが、覚醒の巨匠であるニサルガダッタ・マハラジです。
ちなみに、写真の後ろの額に飾られている人物は、ニサルガダッタ・マハラジと同様、悟りの聖者であるラマナ・マハルシの写真です。
悟りの聖者の”人”としての伝記を残すのは非常に困難なことがあります。
というのも、悟りとは、人を超えて”純粋な意識”として顕在する境地であるからであり、たとえ聖者に誕生日などを聞いたとしても「生まれてくることも死ぬこともない。」という不変の真理を伝えられるだけのことが多いからです。
ニサルガダッタ・マハラジもその1人でした。
ですが、マハラジの事を幼い時から知っている人たちの証言によると、マハラジは1897年の4月に生まれたとされています。
奇しくもその日はヒンドゥー教の中で有名な、猿神ハヌマーンの誕生日だったそうで、両親は、彼をハヌマーンの別名であるマルティと名付けたそうです。
ちなみに、ハヌマーンは日本では「猿田彦」という神様と同一であるという説があります。
そして、なんと日本の古書、「正統竹内文書」の中では「猿田彦」は「イエス・キリスト(もしくはその子孫)である」と記されているんです。
また、ハヌマンを非常に敬愛していたインドの聖者にニーム・カロリ・ババという人がおり、彼はイエス・キリストにも非常に深い敬愛を示しており、イエスの話をする時、涙を浮かべることもあったそう。
それを思うと、ハヌマンの生誕祭に生まれたニサルガダッタ・マハラジが覚醒の巨匠になったのは決して偶然ではないのかもしれません。
タバコ売りの聖者と呼ばれる所以
ニサルガダッタ・マハラジは、中年期までは、マルティとして、普通の人生を送っています。
マルティ(ニサルガダッタ・マハラジ)の父は、彼の幼少期、貧しい生い立ちである家庭で召使いとして仕事をしていました。
のちに、小規模の農場でギリギリの生活を営み、マルティは殆ど教育を受けずにそんな父の仕事を手伝う幼少期を送ったそう。
マルティが10代の時、彼の父は先立ち、それからマルティは食べていくために、田舎からボンベイへと発ちました。
そのボンベイで、マルティは、子供服や紙巻きタバコなどを扱う、小規模な小物商店を始めるようになります。
このビジネスが小規模ながらも成功し、マルティは結婚し、4人の子どもを授かります。
結局、マハラジは中年期までは”マルティ”として、普通の人生を送ったのです。
そんなマルティの人生の転機となったのは、友人から勧められて会ったグル、”シュリー・シッダラメシュヴァール・マハラジ”との出会いでした。
グルはマルティに、マントラと瞑想の指導をします。
そしてその指導通りの方法をわずか数年続けた後に、なんとマルティは、悟りを見出したのです。
つまりは、マルティという存在のアイデンティティを失った、”永遠なる意識そのもの”となったのでした。
そうして彼はマルティではなく、「シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ」と呼ばれる覚醒の巨匠になったのです。
ちなみに彼は、非常に面白いことに、悟りを語るタバコ売りであり、自身もまた、タバコを吸うヘビースモーカーでした。
海外から大勢の聡明な探求者がマハラジの元へ訪れたそうですが、彼らはマハラジが悟りを説きながら、国産の安いタバコを始終吸う姿に、本当に驚いていたそうです。
これが「タバコ売りの聖者」と呼ばれた所以です^^
ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの(教え)
ニサルガダッタ・マハラジの教えは、上の動画からもわかるように、非常に荒々しい口調の中、伝えられましたが、内容はとても繊細で美しい「真我(悟り)の教え」でした。
例えるなら、「頑固おやじ、真理を説く。」というような感じでしょうか…。笑
彼はよく、探求者に対して「あなたは誰なのか?肉体付きの意識が存在するようになる前のあなたは何だったのか?百年前(肉体として生まれる前)、あなたは何だったのか?」と問いかけました。
すぐに答えのでないような問いかけに思えるかもしれませんが、彼はこの難解な問いかけを黙想させることで、探求者を「私たちは人間ではなく、純粋な意識そのものである」という真理へと導いたのです。
「誰も生まれず、誰も死なない。」
彼が指し示した純粋な意識とは、時間や空間を超えた永遠普遍の真理そのものでした。
ちなみに、私が一瞥体験をした時も、この「誰も生まれず死なない。」という真実が明確な確信として自分の中に飛び込んできました。
そしてニサルガダッタ・マハラジが肉体を離れた今もなお、ディーパック・チョプラやムージなどの多くの賢者が、彼の教えを絶賛しています。
ニサルガダッタ・マハラジの名言
ニサルガダッタ・マハラジの言葉は非常に深淵です。
1つ1つの言葉が金言であり、私自身、何度もハッとさせられました。
ここでいくつか紹介させていただきます。
ーI AM THAT より引用
実在は全ての対極を含んでいる。だがそれは、対極同士の戯れの中にはない。
意識がもはや亡くなった後、それはそれ自身として在る。
ーI AM THAT より引用
忍耐強く頑固に、「あれ」や「これ」から「私は在る」を分離しなさい。
そして、「あれ」や「これ」 として在るのではなく、ただ在るということがどんな意味を持つのか感じ取ってみなさい。
ーI AM THAT より引用
苦痛と快楽は共に手を携えていくものだ。
一方からの自由はその両方からの自由を意味する。
もし快楽を気にかけなければ、幸福を恐れることはないだろう。
だが、そのどちらでもなく、両方を完全に超えている幸福がある。
ーI AM THAT より引用
はじまりなきものは永遠にはじまる。
ー意識に先立ってより引用
意識以外の誰が意識に気づくことができるだろうか?
他に何か実体があるだろうか?
意識はそこにあり、それは常に自分自身に気づいている。
問題は、意識が肉体と一体化していることだ。
ただ、意識と肉体を一体化しないこと、これだけを注意していなさい。
ーニサルガダッタ・マハラジが指し示したものより引用
私は常に存在している。なぜなら私は常に不在しているからだ。
マハラジは基本的に、宗教の言葉などは引用せずに、自分の内側から見出された真実だけを語りました。
彼の口から紡がれる言葉はいつもシンプルでしたが、と同時にとても深淵で、肉体を離れた今もなお、私たちの思考を瞬時に停止させ、真理へと導きます。
ちなみに、マハラジの非常に熱心な帰依者(弟子)だった、インドの銀行の頭取であるラメッシ・バルセカールもまた、悟りを開き、本を出しています。
私はラメッシの教えにも随分と救われました。
そう思うと、現代は国境を越えて、悟りが連鎖している時代です。
そのことを思うと、地球は素晴らしい時代を迎えていると思うし、なんとも幸せな気持ちになります。
終わりに
ということで、今回はタバコ売りの聖者、ニサルガダッタ・マハラジについてお話させていただきました。
いかがだったでしょうか?
彼の肉体が存在していた時代に、私リリはまだ肉体としては生まれていませんでしたが、今こうして彼の教えを学ぶことができ、こうして多くの人に彼の叡智を伝えていくことができることに深い喜びを感じます^^
ニサルガダッタ・マハラジは、私たちがそれまで忘れ去っていた内なる神性さを思い出させてくれる素晴らしい悟りの導き手です。
彼の教えは、100万年先の宇宙でも通用する普遍的な時空を越えたものであり、これからも変わることなく、輝き続けることでしょう。
そんな、ニサルガダッタ・マハラジに心からの敬愛を込めて。
リリ