こんにちは。リリです。
今日は非二元のもう一歩先…不二一元論(純粋な非二元・ユニシティ)についてのお話をします。
不二一元論…難しい日常的に馴染みのない言葉ですが、読み方は「ふにいちげんろん」です。
前回、以下の記事で非二元とは何かについてお話させていただきました。
念のため、こちらでも非二元の簡単なおさらいを書いておきます。
- 二元とは光と闇といった比較対象が在る状態で非二元はその逆
- 非二元とは私と世界が一体化した境地
- 非二元の境地に個人としての”私”はいない
- 二元の世界は自我(個人の私)のトリックでしかない
非二元は悟りへの順調なプロセスです。ただ、もう一歩先に、”不二一元論”があります。
多くの人は非二元こそが悟りであり、最終的なゴールであると誤解します。以前の私もそうでした。
ですが、非二元を体験するのは覚醒に過ぎず、その先に不二一元論(本当の悟り)があります。
この違いを理解するだけでも、”意識の完全な目覚め”に大きく近づき、スピリチュアルの世界におけるあらゆる矛盾から免れることができるでしょう^^
よって今回は、そんな不二一元論にフォーカスを当てて解説していきます。
不二一元論の意味とは…唯一の実在
不二一元論とは、もともとインドの哲学者シャンカラが開祖の論理です。
ーウィキペディアより引用
初代シャンカラ(梵: आदि शङ्कर, Ādi Śaṅkara、700年頃-750年頃)は、マラヤーリ人の8世紀に活躍した中世インドの思想家。不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した。
彼は賢明にも、「この宇宙世界は幻想であり、実際には実在しない幻想、夢の世界である。」と断言しました。
700〜750年頃だった当時、そんな不二一元論を説いた彼は”無神論者”と呼ばれました。
というのも、当時、多くの人が「この世界は神が創られた」と考える中で、シャンカラは「この世界は幻想である。」と断言したからです。
ですが、これは大きな誤解で、真実は無神論者とは真逆の「この宇宙世界は幻想で、唯一の実在は神のみである。」ということを説く教えだったのです。
”世界と私はひとつ(非二元)”ではなく、それとは全く関係のないところに、唯一の実在(神=純粋な意識)がある。その結果、宇宙世界そのものが幻想であると気づき、唯一の実在、意識を見出す…それこそが真理で在る、というのが不二一元論です。
唯一の実在は神のみ。
この唯一の実在である神は時に、純粋なる意識、大いなる存在、唯一の実在、真我…あらゆる呼び方で表されますが、指し示しているものは全て同じです。
だからこそ、悟り(不二一元)を見出した人は、この宇宙世界という非常にリアルに思える夢から目覚めた人…「覚者」と呼ばれるのです。
不二一元論と二元・非二元の明確な違い
じゃあ次に、「不二一元論や純粋な非二元?非二元と何が違うの。」という方のために、その明確な違いというのを説明します。
わかりやすく簡単にまとめました。
二元:私はリリという個人です。
非二元:個人としての私と比較して、その”私”はいない。私と世界は一つだから。
不二一元論・純粋な非二元・純粋な意識・ユニシティ(単一性):そもそも私も世界も何一つなく、神(真の私)だけがある。
真理は純粋な非二元(=純粋な意識、ユニシティ、不二一元論)であり、二元⇄非二元といったように比べる何かは一切ありません。
一切の比較・対象もない境地です。ここが非二元との大きな違いです。
「世界との一体化=非二元」と捉えられますが、これではまだ、世界と一体化するものの2つがあります。
ですが、不二一元論では、存在する全てが神(純粋な意識)であり、それ自身をこの世界の現象全体として世界に具現化し、そこに多様性や個性が在る、と説いています。
つまりは、地球含めた宇宙世界のあらゆる多様性は、それを投影するもの(神=純粋な意識)がなければ、存在することのできない影のようなもの…ということなのです。
ラメッシは賢明にもこの真理を、
存在の存在の欠如(=個人としての私の欠如)
存在の不在の欠如(=個人としての私はいないの欠如)
と表しました。
この言葉の意味をもっと詳しく解説すると以下のようになります。
存在が存在する→二元
存在が不在している→非二元
それら”存在の存在(二元)”、”存在の不在(非二元)”の欠如→不二一元論
これはつまり、世界の全ての比較関係とは全く関係のない、それら両方が欠如したところに、純粋な非二元、ユニシティ、不二一元論があるということです。
「私はいない。」の”私”そのものが完全に欠如し、神についた境地。二元も非二元も包含した純粋な非二元、一なるもの…。この境地には個人としての私はいないし、宇宙人もいないし、宇宙そのものもなく、ただ、神だけがある。
つまりは不二一元においては、全ての固定概念が取り払われた先に、完全なる神(純粋な意識)を見出す必要がある、というわけです。
言い換えるのであれば、宇宙世界と神両方を選ぶのは不可能であり、それ以外のものは何もない…これが本当の意味での非二元=不二一元論です。
覚醒の実体験により理解した本当の不二一元論
私が覚醒を体験した時、それはただただ、非二元のスペース(無限空間)でした。そこに個人の私はおらず、ただひたすらに制限のない、スペースがありました。
でもまだ、”非二元のスペースの観照者”と”スペース”には少しの距離がありました。
そこで私は気づきました。スペースそのものと一体になる事が純粋な非二元なのだと。それこそが神(純粋なる意識)と一体になるということなのだと。
非二元のスペースに気づいているものに気づくということ。
この真理に関してインドの覚者ラマカント・マハラジは以下のように表現しました。
「気づいているものは気づかれることができるのか?」
「読んでいるものは読まれることができるのか?」
ーラマカント・マハラジ
一見、とても難解な問いかけに感じますよね。
それもそのはず、この問いかけへの答えは決して思考から生み出せるものではなく、直感的理解からのみ生まれるものです。
というのも、その答えを出せるのはまさに、あなたのうちなる神聖さ、神そのもののみ、だからです。
的確に不二一元論を説いた本
ここで不二一元論を説く貴重な書籍をいくつか紹介します。
意識は語る ラメッシ・バルセカール
今世紀最大の覚者と呼ばれるラマナ・マハルシや覚醒の巨匠であるニサルガダッタ・マハラジの元で学び、実際に覚醒・悟りを見出したラメッシ・バルセカールによる本、「意識は語る」です。
彼はこの「意識は語る」において、単一性であるユニシティ=「不二一元論」を軸に質問者の様々な質問に対して、あらゆる角度で説いてくれています。
700ページ近くに渡る大容量の書籍ですが、対話式が多いので読みやすく、この本に巡り会えること自体が恩寵なのでは…とそう感じる1冊です。
神の使者 ゲイリー・レナード
神の使者は、イエスキリストの声をチャネリングして書いたと言われている「奇跡講座」の副読書として知られる1冊です。
アセンデットマスターであるアーテンとパーサがゲイリーの元に現れ、神についての真実、この世界についての真実について対話する、という内容になっています。
「神の使者」では不二一元論のことを「純粋な非二元」と表していますが、伝えたい内容は同じで「神のみが在る」ということです。
こちらは4部作のうちの1部で、1部を読むだけでも非常に勉強になります。
ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの ラメッシ・バルセカール
インドの覚醒の巨匠、ニサルガダッタ・マハラジの晩年が、弟子であるラメッシによって記された1冊です。マハラジとラメッシの師弟愛を、そしてラメッシのマハラジへの最大の敬意を感じる1冊です。
ラメッシが非常にわかりやすく、マハラジが伝えたかったことを解説してくれており、非二元ではなく、ユニシティ=不二一元論こそが真理である、ということを明快に伝えてくれる1冊です。
まとめ
というわけで今回の内容をまとめます。
- この宇宙世界は二元世界
- 本当の真理は非二元のもう一歩先の不二一元
- 不二一元論は無神論ではなくむしろその真逆で「神だけが在る」と伝える
- この世界は神を投影した具現化…神の影にすぎない(つまりは実在しない)
- 唯一の実在は不二一元論=ユニシティ(単一性)・純粋な非二元・純粋な意識そのもの・神
- 最終的に人々はこの世界の全てが幻想だと気づき、神そのものを見出していく
私は、「この世界の本当のことが知りたい…!」そんな情熱だけで、悟りやスピリチュアルの本を300冊以上読み、猛烈な探求の末、この結論にたどり着きました。
その叡智を今、あなたに届けています。
仮にもし、今回の内容がすぐにわからなかった場合、それもまた、大丈夫です。
ですが、非二元と不二一元論の違いが理解できるまでは、事あるごとに何度も、この非二元と不二一元の違いについて黙想してみてください。そうして今じゃなくとも、いつか、あなたの人生に大きな気づきがもたらされれば幸いです。
理解できた人はまた、この大切な真理を胸に刻んでください。
答えがあまりにもシンプルで笑っちゃいますが、
真理は「神は在る。それ以外は何も存在しない。」です。
シンプルさの中に何よりも深淵な真理が潜んでいます。
それでは、今日はこの辺で。
愛を込めて。
リリ