こんにちは。リリです。
悟りとスピリチュアル、この2つは別物のように捉えられることも少なくありませんが、実は悟りとスピリチュアルはとても密接な関係性をもっています。
”関係性”と表現することさえ距離が感じられるほど、本来、悟りとスピリチュアルは一体なのです。
よって今日は、非二元的(悟り)セラピストの私が、悟りとスピリチュアルにフォーカスを当ててお話をして行きます。
悟りとスピリチュアル、どちらに対しても理解が深まる内容となっていますので、ぜひ読んでみてくださいね^^
その本質、というのが見えてくると思います^^
仏教を超えたスピリチュアルとしての悟りとは。
「悟りはスピリチュアルか?」と問われれば、答えは明白で、間違いなくイエスです。
スピリチュアルとは目に見えない霊性(魂)の道を説く教えです。
世界的ベストセラー本「星の王子様」の著者、サンデクシュペリの言葉に以下の言葉があります。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
ーサン・デクシュペリ
かんじんなことは、目に見えないんだよ。
この言葉の通り、この世界で最も大切なことはいつでも目には見えません。
愛も奇跡も目に見えて証明できるものではありません。
だからこそ、私たちはスピリチュアルな教えを学びその目に見えない大切なものを学んでいくのですが、この愛や奇跡を直接的に実践し、体現していく教えこそが悟りの教えなのです。
ちなみに私がここでお話している愛というのは、恋愛的な愛や条件づけられた愛のことではなく、無条件の愛をさしています。
条件づけられた愛というのは、例えば
・「彼がお金持ちだから好き。」
・「息子が良い大学に言ってくれたら好き。」
・「あの友人は私に尽くしてくれるから好き。」
・「あの人はお金をくれるから好き。」
と言ったような条件が引っ付いた愛であり、逆に無条件の愛というのは、一切の条件なく、(自分を含めた)全てをあるがままに受け入れ、愛するということです。
実際に、無条件の愛を体現するためには以下の体現が必要です。
- 自分と他者への無条件の許し
- あるがままの全てへの受け入れ
- あるがままの自分自身への愛
- ノージャッジな心(批判を手放す)
条件なしの愛の実践は本当に深いものです。いとも簡単に奇跡を起こします。
実際、私は何度も奇跡を体験しました。
ただ、いざ実際実践してみようとなると、心底嫌いな人を、無条件の愛をもって心から許すのは非常に難しいことを痛感するでしょう。あるがままの自分を愛することはとても難しいことを実感することでしょう。
ですが、悟りの道は、私たちを真のスピリチュアルな自分へと導いてくれる宝物のような教えです。
本当のあなたである真我(真のセルフ)は時空を超えた永遠のスピリチュアルな存在です。
一方、私は個人である…例えば私はリリである、といったアイデンティティのセルフはあなたが「自分である」と信じている限定されたいずれは死ぬべき存在です。
個人のセルフは決して永遠の命を持つことはありません。
地球人よりも平均寿命がうんと長い宇宙人などもいるそうですが、500年生きたところでそれは永遠ではありません。
時間という概念を超えたところに、真のセルフは見出されます。
結局、そんな真のセルフを見いだすことがスピリチュアル(な道)の本質的な意味なのです。
そして、真のセルフを見出した時、その人は悟りを見出した存在と言えます。
この世界には、あらゆるスピリチュアルな教えがありますが、スピリチュアルな道に深い献身を捧げていれば、必ず悟りに行き着きます。
悟りは全てのスピリチュアルの教えのゴール地点だからです
悟りこそ、究極のスピリチュアル。
あらゆるスピリチュアルの教えが、結局は最終的にこっそり悟りに導いています。
引き寄せの法則で最も有名な高次の意識体であるエイブラハム、ワクワクの法則で最も有名な高次の意識体であるバシャールを例にとっても、それは顕著です。
ーエイブラハム(サラとソロモンより)
「サラ、この骨と羽のくしゃくしゃになった塊を本当のソロモンと混同してはいけない。この体は本当のソロモンが特定の見方でこの世の物事を見たり体験するための道具のようなものなんだ。もっと大きな存在が、その1つの見方を通して見ているだけなんだ。君の体だって同じことだ。それは本当の君自身じゃない。」
人生という旅は、実は自分たちにはハイヤーセルフ(悟った高次の自分)があるのだということを思い出し、ハイヤーセルフ(悟った高次の自分)と再び繋がるための旅でもある。
ーバシャール(BASHAR GOLD)
バシャールとエイブラハムの教えというのは基本的に、私たちの日々の日常になるべく寄り添ってくれています。
より具体的な部分に落とし込んで”人生を楽しむ”という部分にフォーカスを当てて話してくれることが多いので、まさか彼らが悟りの教えを伝えていると思う人は少ないでしょうが、実際、彼らの教えをきちんと学んでいくと、その教えの真髄は悟りに導いていることがわかるのです。
そう、全てのスピリチュアルな教えは最終的に悟りへと繋がっているのです。
スピリチュアルな教えの全ては悟りに帰っていく。
私が初めて悟りの教えを知った時は、あまりの衝撃で、自分の意識や人生が全く変わっていくのを体験しました。
そして、これまでの自分には決して戻れないということも直感的に確信しました。
ですが、猛烈な探求の末に、悟りの一瞥体験を経て思ったこと。
それは、「私は悟り以外の教えを何も知らない。」という気づきでした。
そこで私は初めて、悟り以外のスピリチュアルも学んでみることにしたのです。
引き寄せ、ワクワク、アセンション、ソウルメイト、シンクロニシティ、心理学…いろいろ学びました。
でも学べば学ぶほど、
全ての教えが共通して、究極的なゴールは悟りを示している。
ということに気づいたのです。
本当の自分は”愛そのものである神”であり、そこに行き着くために、色々なスピリチュアルなプロセスがある。
そして、そのプロセスこそが、これら引き寄せや他のスピリチュアルな教えたちだったのです。
中には、闇を批判して光だけをよしとする、苦しみを生むようなエゴのスピリチュアルな教えもありました。
これらの教えに共通するのが「良い人が救われて悪人は救われない」という主張です。
でもそういった教えもまた、悟りの無条件の愛の教えの前では無力でした。
というのも、そんなエゴ的スピリチュアルでさえ、悟りの教えは愛で包み込んで癒していくからです。
そこで私は紆余曲折を経たのちに、悟りが究極のスピリチュアルであり、全プロセスのゴールだとより確信を持って、理解したのです。
そして悟りは全人類が生まれてきた真の意味だということも。
悟りの記事まとめ
ちなみに、悟りの記事に関しては以下の記事にて、他にも色々記載しています。
ぜひ興味がある場合、ご覧ください^^
仏教に偏った悟りの教えではなく、より広範囲なスピリチュアルな視点での悟りについて、詳しく解説しています。
まとめ
ということで、スピリチュアルと悟りは全くもって同じであり、悟りは全スピリチュアルの教えの究極のゴールである。ということに関してお話させていただきました。
今回の内容をまとめます。
- 悟りは最もスピリチュアルな教えである。
- あらゆるスピリチュアルな教えに共通するのが悟りがゴールということである。
- 全てのあるがままを受け入れ愛することこそが究極のスピリチュアルであり、悟りである。
スピリチュアルな道を歩んでいると、あらゆる教えの板挟みで苦しくなることがあります。
ですが、悟りの教えが軸にあると、一切ぶれることがなくなっていきます。
悟りの教えは全てをあるがままに許す無条件の愛の教えだからです。
無条件の愛には葛藤・矛盾はあり得ません。全てが受け入れられているからです。
なんとも素晴らしい真実だと思いませんか?^^
愛を込めて。
リリ