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リリ
目覚めの案内人
純粋な非二元(悟り)の観点から心のセラピストとして活動しているリリです。
幼い頃から、この世界への諸行無常感を抱え、極度に繊細で敏感(HSP)な自分に生き辛さを感じいました。20代の時に訪れた絶望を機に悟りの探求を始め、一瞥・覚醒を数度体験。
セッションでは表面的な改善でその時だけの状況を変えていくのではなく、より本質的かつ根本的な改善方法に導くことを心がけています。
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ノンデュアリティへの批判と矛盾について

朝日

こんにちは。リリです。

「ノンデュアリティ=非二元」は”悟り”を示す言葉として、スピリチュアル界で一時期、ブームのようにして広められました。

そんな中、ノンデュアリティに関する批判だったり、ノンデュアリティは危険であるというような意見も生まれていき。

批判・否定のパワーというのは、恐れのパワーと同様に、それが例えたった1人の意見だとしても、強烈な威力を持つため、結局、ノンデュアリティとは何なのか、危険なのか?と困惑してしまう人もいることだと思います。

よって、今回は実際に覚醒・一瞥体験をした心のセラピストの私が、ノンデュアリティに関する真相をわかりやすく紐解いていきたいと思います。

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目次

ノンデュアリティ(非二元)への批判について

ノンデュアリティは無条件の愛を軸とした、非常に抽象度の高い教えです。

抽象度が高い分、様々な誤解を招きやすい教えでもあり、「ノンデュアリティは矛盾の多い教えである」であったり、「ノンデュアリティは危険な教えである」と捉えてしまう方も、中にはいます。

ちなみに、ノンデュアリティが危険であるのか?に関しては、以下の記事で詳しく言及しています。

ノンデュアリティの教えは、本当に簡潔にお伝えするならば、個人は存在していない。分離は幻想であり、本来、ワンネスのみがあり、愛が全てである。というような教えであり、中には大きな誤解を持つ人もいます。

実際、サイコパスがノンデュアリティな愛の教えを利用して人を操る、といった話も耳にすることがあるので、その結果、ノンデュアリティな教えが歪んだ意味で捉えられることがあるのはある意味でしょうがないことです。

ただ、本当のノンデュアリティな視点で見れば、それらの真理が闇に悪用される出来事すら、愛を軸に回っており、全ては許し受け入れられています。

というのも、どんな闇の経験も愛を学ぶためのギフトでしかないからです。

また、本当の愛を学び実践すればするほど、純粋なノンデュアリティな教えがどんなものであるのかは、自然に見極めることができるようになっていきます。

ただ、ノンデュアリティが批判される時に非常に多いパターンが、「ノンデュアリティの教えの内容の多くは矛盾している」という指摘です。

よって今回は、ノンデュアリティと矛盾について、掘り下げてお話していこうと思います。

ノンデュアリティ(非二元)が含む矛盾について

分離した個人の視点でノンデュアリティの教えを見ると沢山の矛盾が見つかります。

真理はとてもシンプルなのですが、分離したエゴの世界は多様性に富んでおり、非常に複雑です。

その結果、知性が必要となり、あらゆる学問や法則が必要となり、その中で「矛盾」という概念も生まれました。

だからこそ、”分離した個人”が悟りを知ろうとする時点で矛盾は避けられないのです。

ここでノンデュアリティを正しく理解するために大切なのが、そもそもの大前提として、分離した存在である師が分離した存在である探求者に何かを教える時点で、矛盾は避けられない、ということです。

また、全ては1つであり愛であるという抽象度の高さから、様々な矛盾を含む事となるのです。

このノンデュアリティを語る上での様々な矛盾に関して、的確な表現をしているのがインドの聖者、ラマナ・マハルシです。

聖典(ヴァガヴァッド・ギータ)は真我(悟り・ノンデュアリティのゴール)は永遠の存在である、と述べながら、無知を取り除くことについて語っています。
もし、真我(悟り・ノンデュアリティのゴール)が永遠の存在なら、どうしてそこに無知があり得るでしょう?
誰にとっての無知だというのでしょうか?
これは矛盾しています。しかしそのような言葉は誠実な探求者を正しい道に導くためのものなのです

ラマナ・マハルシとの対話 第一巻

明らかな矛盾に困惑して苦しむのは自我(個人)なのです。
誰がそれを尋ねているのか、その尋ねている人を見出しなさい。
そうすれば真我は見つかるでしょう。

ラマナ・マハルシとの対話 第一巻

ラマナは的確に真理を教える”真の悟りの聖者”であり、探求者の意識の段階に合わせて、その人に寄り添った教えをしました。

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だからこそ、初心者のある人には個人がいる前提で、その上で出来る修練などのアドバイスをするし、一定の探求が深まったある人には完全なる真我側としてのアドバイスをしたのです。

インドの悟りの聖者であるニサルガダッタ・マハラジの場合、探求への純粋な質問ではなく、議論へ引き込む質問者の欲求は、全てエゴによる産物だとわかっていたので、矛盾による議論に持ち込もうとする探求者がいた場合、一切の相手をしなかったそうです。

例えば誰かが何とかの聖典の間の見かけの矛盾を(ニサルガダッタ・マハラジへ)指摘することがありました。

マハラジはいつも「もし、あなたがこういったことを尋ねるなら、私は答えることができない。」と答えたものです。

さらに、質問者に他の誰かを指し示して、
「こちらの女性は、サンスクリットの修士号とインド哲学の博士号を持っている。それを彼女と議論しなさい。」といったりしたものです。

ー意識は語る(ラメッシ・バルセカール)

ただ、ニサルガダッタは、純粋な悟りへの質問を投げかける探求者に対しては非常に真剣に受け答えを行いました。

真理は非常にシンプルでありエゴは非常に複雑

真理は非常にシンプルなワンネスです。

ですが、全ての人が、それだけの教えで真理を頭だけではなく、深い部分で理解できたのなら、悟りの本は本来、1ページで終わるでしょう。

にもかかわらず、数百ページ、もしくは数千ページに渡って悟りを説明する本があるのは、自我(エゴ)の複雑さに翻弄される探求者に対して、できる限りその人の自我(エゴ)に寄り添い、導く必要があるという証拠です。

できる限り多くの人に理解してもらうためには、まず、自我(エゴ)がどんなものであるのかなど、その複雑さと巧妙さに対して、本当に様々な理解を促す必要があるのです。

本

その結果、その理解の過程で矛盾はどうしても生まれてくるのですが、それら矛盾を全て包含した所に真理である真我(ノンデュアリティな実在)は在るのです。

そして、あらゆる矛盾含めた批判・闇すらも愛によって受け入れ許しているのです。

真理は、まさに無条件の愛そのものです。

終わりに

以上、今回はノンデュアリティへの批判への見解について、お話させていただきました。

内容をまとめます。

要点まとめ
  • ノンデュアリティは沢山の矛盾を抱えているように見えるが
  • 真理は非常にシンプルでありエゴの産む矛盾すら愛で包含している。
  • エゴが分離や矛盾を生み世界を複雑にする。
  • 真理は非常にシンプルなワンネスである。
  • ノンデュアリティ(悟り)は批判さえも全て慈愛で包んでいる。

いかがだったでしょうか?

真理はとてもシンプルなので、究極、一言で「真理は真我で在る。それが全てだ。」といった風に言い表すこともできます。

ですが、私たちは母から生まれた分離した存在だということをあまりにも信じ受け入れていきてきました。

よって、直感的に真我のみが真実だとわかったとしても、知性でそのことを理解するのは、そう簡単なことではありません。

だからこそ、たくさんの悟りの本が存在し、悟りへ導く存在も必要となってきます。

ですからもしこの先、悟りの教えの中に矛盾を発見し、それによって苦しみそうになったら、ぜひ、今回の内容を思い出してください。

最後にインドの偉大なヨギであるパラマハンサ・ヨガナンダのこの言葉を送ります。


エゴは世界をいつでも複雑にする。だが、真理はいつでもシンプルだ。

ーあるヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ)

愛を込めて。

リリ

朝日

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