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リリ
目覚めの案内人
純粋な非二元(悟り)の観点から心のセラピストとして活動しているリリです。
幼い頃から、この世界への諸行無常感を抱え、極度に繊細で敏感(HSP)な自分に生き辛さを感じいました。20代の時に訪れた絶望を機に悟りの探求を始め、一瞥・覚醒を数度体験。
セッションでは表面的な改善でその時だけの状況を変えていくのではなく、より本質的かつ根本的な改善方法に導くことを心がけています。
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一瞥体験とは?私の実体験を元に解説します

こんにちは。リリです。

禅の世界であったり、スピリチュアルな世界には、”一瞥体験”と言葉があります。

「一瞥=いちべつ」と読みますが、じゃあ、この一瞥体験とは一体、何なのでしょうか?

今回は、私が実際に体験した一瞥体験を基に、この一瞥体験というものが一体どんな体験なのかお話しようと思います。

目次

一瞥体験とは?

「一瞥」という言葉の意味を調べると、下記のように出てきます。


ちょっと見ること、ちらっと見ること。

goo辞書より

その言葉の意味の通り、一瞥体験というのは、悟りを完全に見出すのではなく、悟りの境地を限られた期間、ちらっと体験することをさします。

悟りを一瞬だけ覗き見る体験です。

一瞥体験は他にも、下記のような表現をすることもあります。

  • ワンネスを体験
  • 見性した
  • 至福体験
  • 自我消失体験
  • 覚醒した

私の一瞥体験

私が初めて一瞥を体験したのは、奇しくも自分の誕生日でした。

当時、苦痛でたまらなかった仕事を辞めて、貯金も底をついた頃。

仕事や人間関係、金銭面全てが悪化の一途を辿り、度重なる絶望の苦しみに耐えきれず、誕生日だというのに、ただただ1人になりたくて、旅館を訪れました。

悟りの探求
(※当時の実際の写真)

鞄には悟りの本が二冊だけ。

「悟りのことだけを考えて心を平静にしよう。」そんな風に考えた私は旅館でひたすら本を読んだり、悟った人と電話してお話したりしていました。

ただ、そんな誕生日にも新しい苦しみとなる要素が加わります。

夜19時頃、1通のメッセージが私のiPhoneに届きました。

それは簡潔に言えば「(人間関係のいざこざにより)あなたは借金を抱えることになる。」というようなメッセージでした。

私は再び絶望に襲われました。貯金も収入もなく、返すあてなどありません。当時、心も体も疲弊しきっていたので、新たな仕事を探す気力さえもありませんでした。

結局、苦しみから少しでも逃れたくて1人旅館に篭ったのに、新たな苦難がもたらされたのです。

それからの私は、心を平安にするために必死になって悟りについて思いを巡らせ、自分の内観を行いました。

ただ、結局、苦しみのあまりに朝の4時頃まで寝れず、悟りの本を抱きしめたまま、いつのまにか眠りについていました。

眠れた時間はわずか30分ほどだったと思います。

急にパッと目が覚め、そしてその瞬間、突如、一瞥は起こりました。

”わたし”は生まれることも死ぬこともない。

そんな内発的な確信が、急に自分の中に見出されたのです。

ただ、それと同時に「ん?これはなんだ!?」という自分の思考の声も共存していたのを覚えています。

ただ、内発的な確信が起こった直後、今度は急速に自我が抜け落ちていく感覚に襲われました。

それはまるで、リリという個人としての感覚が、積み木が崩れるように落ちていく感覚でした。

この時、私が直感したのは

  • 今までの自我的なわたしではいられなくなる。
  • 悟りとは都合のいい、ただ至福だけの境地ではない。

ということでした。

個人としての”私”が至福に到るのではなく、“個人の私”こそが苦しみの根源である。

だからこそ、”個人の私”が抜け落ちる事こそに至福がある、とそう気づいたのです。

そして、と同時に、悟りを”獲得しよう”としていた自分がいたことにも気がつきました。

というのも、悟りを獲得しようとしていた自分がまさに抜け落ちていく感覚があったからです。

そして私は、それまでの自分が、悟りを誤解していたことに気がつく事となったのです。

…これが”私”の体験した一瞥体験です。

一瞥の前触れはあったのか?

じゃあ、一瞥の前触れはあったのか?と言えば、一切ありませんでした。

ただ、悟りの教えを学び始めてから、理屈では到底言い表せない不思議な出来事が頻発するようになってはいました。

例えば、本を読んでいたら、急にある1つのメッセージだけが目に大きく飛び込んできて、 後ほどそれが重要なものだったとわかったことがありました。

さらに驚くようなシンクロニシティが頻発するようにもなりました。

ですが、それが一瞥の前触れかと言えば、そうではなかったように感じます。

というのも、そういったスピリチュアル的体験は一瞥を体験しない人にも起こるからです。

一瞥が起きたその後…

さらに、一瞥の体験を経験したその後は?と言えば、本当に不思議なくらい、普通の日常が続いていきました。

一瞥体験以外は本当に普通で、私は引き続き、自分の身に起こった絶望に対応する必要がありました。

ただ、印象的だったのはそれまでの人生でもっとも深い絶望の中にいながらも、心はとても静かになっていったということです。

そして、一瞥を体験したことによって、悟りが実際はどんなものなのか、本当に体感を持って理解できたように感じます。

一瞥体験は悟りのスタートライン

以前の私は、一瞥や覚醒体験をした、という人を見聞きすると、とてもすごい人のように感じていました。

ですが、実際に自分が一瞥や覚醒を体験してみたら、別にすごいとかそういうのではない、ということに気が付きました。

もちろん、圧倒的な体験で、真理を見出す上でとても重要なきっかけになったことに変わりはありません。

ただ、一瞥や覚醒を体験したからといって一気に自分が成熟したりするかといえば、そうではない、ということに気が付いたのです。

実際、他の覚醒したとおっしゃっている方に何人かお会いしたことがありますが、その方々も良い意味でとても普通の人たちでした。

中にはエゴ的なスピリチュアルな教えにはまり込んでしまっている人などもいたので、一瞥や覚醒したからといって油断していたらまんまとエゴ、思考の罠に引っかかる…、そうも思います。

結局、一瞥は悟りへのスタート地点に立ったということでしかない、ということなんです。

これは悟り定着のためのスタートであり、その道筋がまた、私がいないと確信するまでは続くのです。

ただ、私はこの一瞥体験があったからこそ、体感を持って悟りがどんなものか理解することができました。

頭では理解していたつもりでも、体感としての理解はやはり、自分で体験しないとしょうがありません。

自分の中に本当の確信を生み出すためには、やはり自分で体験して納得する他ないのです。

一瞥体験を意図的に行う方法はあるの?

「じゃあ、一瞥体験を意図的に行う方法はあるのか?」こちらの問いに関しての私の答えはノーです。

思考の消失を思考自身では決して行えないように、自我の消失を自分で意図的に行うことなどできません。

逆に、インドの聖者ラマナ・マハルシのように、一切悟りに興味がない人が、いきなり自我の消失(深い一瞥体験)を体験し、悟りを開くこともあります。なんと彼にはそれが10代のうちに起こりました。

よく、一瞥や悟りは神の恩寵によってもたらされると表されますが、まさに私たちの思考が予期できるものではなく、神の恩寵でしかない、そう感じます。

ただ、その中でも、下記のような人たちの多くは一瞥や悟りを見出しています。

  • 純粋な思いでより猛烈な悟り(神)の探求を行なっている人
  • 神への完全なる明け渡しの準備ができている人
  • 真剣に真の自分が誰なのかに対して黙想を行い続けた人
  • 深い悟りに至った人(ラマナ・マハルシなどの聖者)に実際会った人

実際、ラマナ・マハルシに会って一瞥や悟りを見出した人は多く存在しますし、インドの悟りを見出した聖者、ニサルガダッタ・マハラジの場合は、「私は誰か?」という問いかけを真剣に3年間行なったのち、悟りを見出しました。

よって、一瞥体験や悟りを見出すための明確なノウハウというのはありませんが、神を真剣に求める人の声というのは必ず聞き遂げられていくのではないでしょうか。

まとめ

ということで今回は一瞥体験について、私の体験をもってお話させていただきました。

今回の内容をまとめます。

一瞥体験とは…
  • 一瞥体験とは悟りを瞬間的に体験すること
  • わたしは一瞥体験で悟りとは自我としてのわたしが消えゆいていくときづいた
  • 一瞥や覚醒したからといってすごいわけではない。
  • 一瞥は悟りのスタート地点に過ぎない
  • 一瞥の明確なノウハウはないが真剣に悟りを求める人の魂の声は聞き遂げられる

いかがだったでしょうか?

一瞥や覚醒の体験よりも大切なのは悟りの定着。悟りそのものを見出すこと。です。

禅の師になるには必ず、覚醒や一瞥体験をしないといけないそうですが、悟りに関しては特にそういった体験がなくとも見出せるもののように感じます。

一瞥・覚醒を体験したからといって自分は特別なんだと感じてしまえばそれは霊的エゴの罠にかかっています。

逆に謙虚になって、悟りのスタート地点に立ったにすぎないことを自覚し、一歩ずつ、歩を進めていくこともできます。

その選択は個々の自由意志にかかっています。

あらゆる先代の賢者や自分の体験が、私にそう教えてくれました。

というわけで、今回は一瞥体験についてお話させていただきました。

今回の内容があなたの気づきのきっかけとなれば幸いです。

愛を込めて。

リリ

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