こんにちは。リリです。
もし、「あなたは誰ですか?」と尋ねられたなら、あなたは何と答えるでしょうか?
おそらく、殆どの人が「私は〇〇(自分の名前)です。」と答えるのではないでしょうか。
ですが、名前はあなたが親から授けられた一種のラベルとも言えるものです。そうしたラベル抜きにして、「あなたは誰ですか?」と尋ねられたなら、どうでしょうか?
次はこんな風に答えるかもしれません。
「私はこの身体・マインドです。」
身体・マインドが自分であるという感覚は強烈です。それがゆえに、その答えはまぎれもない真実に思えます。
ですが、「本当のあなたは(あなたの思っているような)身体でもマインドでもありません。」そう説得力のある理論で説明したのが、ダグラス・ハーディングというイギリスの哲学者でした。
…そうして、あらゆる常識を剥がしていった時に、本当の自分が誰なのか、知っている人は殆どいません。
殆どの人たちが「私たちは何者なのか?」という究極的な問いへの答えを知らないまま、死んでいくのです。
今日はそんな「私は誰か?」という問いかけに対しての答えについて探っていきます。そこには、科学的根拠などを含んだ、一切の真理が隠されています。
この記事はあなたの常識を大きく覆すものとなるかもしれません。
それでは早速いきましょう。
本当のあなたは誰なのか?
本当のあなたは誰なのでしょうか?
一切の洗脳・ラベルづけ・概念を取り払った時に、初めて見出される答えがあります。その答えとは、「本当のあなたは非二元(終わりのない)のスペースであり、全てである。」というものです。
ただ、この答えを聞いてピンと来るかといえば、全く来ない方が多いかもしれません。普通、「本当の自分は非二元のスペース?全て?なんじゃそりゃ。」そんな反応が起こることだと思います。
ただ、目に見えない世界を探って行くと、この言葉は真実味を帯びてきます。
どういうことなのか、説明していきますね。
例えばもし、「私たちが視覚的に認識できる部分「身体」は紛れもなく自分である。」と言われたなら、それに関して違和感を抱く人は殆どいないと思います。
では、そこから抽象度を下げて、目に見えないところまで自分の姿を探って行くとどうでしょうか?
「身体」はおびただしい数の「細胞」から形成されています。脳という機能だけを見ても、大脳だけで数百億個の細胞が存在しているそうです。
では「細胞」から、さらに抽象度を下げると、私たちは「分子」となります。
そうしてどんどん抽象度を下げて行くと、「原子」→「粒子」となり、最終的には「それらすべてを包含している非二元のスペース」となります。
整理すると以下の通りです。
「身体」→「細胞」→「分子」→「原子」→「粒子」→「それらすべてを包含している非二元のスペース」
この非二元のスペースこそが、私たちの真の姿である。という理論は、現時点で数多くの物理学者、量子力学者が立証済みです。
そして、この非二元のスペースのレベルにおいては、私たちは全ては1つです。
人間だけに限らず、動植物、もの、などすべての物質が粒子から形成されており、その粒子はまさに、この非二元のスペースに存在しているからです。
そしてスピリチュアルの世界では、この事を”ワンネス”と表現することもあります。
ただ、殆どの人は「自分の真の姿は非二元のスペース=ワンネスである」ということを忘れています。
目に見える身体だけを意識して、自分自身を「皮膚を境界線とした分離した存在」だと思い込んでいるのです。ただ、そんな自分の身体も突き詰めていけば、その境界線は曖昧です。
よって次に、私たちが自分自身だと思い込んでいる身体を含めたあらゆる概念について、それが本当に自分であるのか、ということを見ていこうと思います。
概念の全ては本当のあなたではない。
冒頭でもお話したように、殆どの人たちは、自分の身体や、名前・性別などのアイデンティティを自分自身として捉えています。
それは私たちが誕生し、自我が芽生えていく段階において、ごく自然に確立されていくものですので、ある意味でしょうがないことだといえます。
ですが本来、概念化(ラベルづけ)できるものは全て、本当のあなたではありません。その理由をそれぞれ詳しく見ていきます。
私たちが自分と認識するものは、大きく分けて以下の3つがあります。
- 自身のアイデンティティ(名前・性別・職業・家族など)
- 身体
- マインド(自分の思考・信念)
それぞれ、掘り下げて考えていきましょう。
アイデンティティ
自分を形成するものとして、私たちに最も強固に根付いているのが「アイデンティティ」です。
それは、自分の名前や性別に始まり、地位・家族構成・身体的特徴など…あらゆるものが当てはまります。これらによって私たちは、自分がどんな人間なのか自身を定義づけしているのです。
「私はサラリーマンで、管理職についている50代男性です。家族は奥さんと娘が3人います。」とそんな風に。
ですが、それらは本来、親から授けられたり、社会から授けられたラベルに過ぎません。私たちはそれらをあまりにも当たり前に受け入れているため、真の自分が何なのか、考えることすら忘れています。
例えばもし、その人が性転換をしたり、役所で名前を変えたり、離婚をしたり、転職をしたならば、アイデンティティは一気に変わります。そのように、アイデンティティは不変のものではありません。
不変のアイデンティティは、これら人間が行なったラベルづけを一切取り払ったところにあります。それこそがまさに、「すべてを包含している非二元のスペース」なのです。
身体
では次に、身体について見ていきましょう。身体も、最も自分であるように思えるものの1つだと思います。
多くの人はこう考えると思います。「人の境界線は皮膚という境界線によってきまる。」
ただ、これもよくよく考えて行くと、境界線が非常に曖昧であることがわかってきます。
どういうことなのか、わかりやすく「入れ歯」を例として、考えてみましょう。
「入れ歯はあなたの身体の一部か?」そう尋ねられた時、おそらく、多くの人が「入れ歯は自分の身体の一部ではない。」答えるでしょう。
「それは、成長することのない死んだ細胞だから」、と。
ただ、私たちの身体の中にある骨も、主に生きた細胞から堆積した死んだ物質です。そうすると、これらも身体ではないことになります。
ですが、「それは違う。なぜなら、骨は入れ歯のように自由自在に取り外すことができないからだ。」そう思うかもしれません。
そうすると、死んだ細胞でも、外れるものは自分ではなく、外れないものは自分自身ということになります。
では、唾液はどうでしょうか?それは死んだも同然で”外れる”細胞です。それは身体の一部でしょうか?多くの人は、唾液は自分の身体の一部だと感じるでしょう。
ただそうなると、入れ歯も身体の一部ということになります。
そう言われてもまだ、違和感は残るかもしれません。
「入れ歯は唾液のように他の部分と一緒に成長することがないから身体ではない。」とそんな風に。
では、水を飲んだ時、その水は成長する細胞ではないが、自身の身体の中に入る。にもかかわらず、その水はその人の身体の一部になるか?といえば、そうだと答える人が大半だと思います。
ですが、水は身体の中にある細胞とともに成長することはありません。
そうすると、こんな風に考えるかもしれません。「水を飲むと、それが体内で役立つ仕事をするのは確かだ。だから水も飲んだら身体の一部だ。」と。
ただ、その理論でいけば、入れ歯も当てはまります。体内で十分に役立つ仕事をしているからです。だから入れ歯もその人の一部と言えるのではないでしょうか?
そうして突き詰めていくと、身体という概念もまた、境界線は非常にあやふやであり、実際には、あらゆるものを含んでいることがわかります。
(頭のない男 ダグラス・ハーディングより参照)
マインド
最後にマインドについて、みていきましょう。多くの人は思考を自分自身だと思っています。
つまり、「自分の考え=自分自身そのもの」だとして、マインドと自分を完全に一体化させてしまっているのです。
ですが、瞑想をしていたり、眠っている時のようにマインドが停止している時、あなたは消えるでしょうか?そうではないと思います。
マインドを使っていないにも関わらず、あなたは変わらず存在している。その感覚が確かにあることだと思います。
よって、あなたはマインドではありません。
…このように、自分が今まで自分自身だと思っていたものを真剣に1つ1つみていくならば、今まで自分が自分だと思っていたものが、いかに曖昧な土台の上にあったのかがわかっていきます。
もしかすると、今まで当たり前に信じてきたことが崩れていく感覚になるかもしれません。中には、頭の中が「?」でいっぱいの方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、完全に理解できなくても全く問題ありません。
大切なのは、「本当の自分は今まで自分が思っていたような姿をしていないのかもしれない?」という疑問そのものです。
それは気づきの為の種子であり、あなたの中に静かに撒かれます。そしていずれ、完璧なタイミングで完全なる気づきへと転換されていくことでしょう。
本当の自分を忘れた私たちに起こったこと
私たちは、いつのまにか本当の自分を忘れ、その結果、病んでいきました。
自分は分離した存在だと思い込み、その結果、弱肉強食という概念が生まれ、あらゆる戦いや殺傷が起こっていったのです。これは現在も進行中で、世界中で起きていることですよね。
また、個人的問題に関しても同じことが言えます。あらゆる依存症・依存的傾向が起こるのも、ワンネスへの渇望(真の自分の忘却)が原因だと言われているのです。
カナダの覚者、エックハルト・トールはそんな人類の状態を、「人類の歴史はおよそ狂気の歴史と呼べる。」と表現しました。
まさに私たち人類は、本当の自分を忘れ、狂ってしまったのです。
ただ、希望がないかといえば決してそうではありません。
目覚めの時代と呼ばれる今、私たちはこうした知識を簡単に手に入れることができるようになりました。本当の自分を知るチャンスが、未だかつてないほどにもたらされているのです。
スピリチュアルの世界では、そんな本当の自分を、知識を超えて直感的確信を以って思い出すことを、「悟り」と呼びます。
私たちは今、誰しもが「悟り」に向かっていける時代に生きているのです。個人的に、これ以上の希望はないと思います。
終わりに
以上、今回は「本当のあなたは誰なのか?」ということについて、お話させていただきました。
いかがだったでしょうか?
今日、私はあなたに新しいアイデンティティを提唱したいです。それは、「私たちの本質的な姿は、非二元のスペースであり、すべてである。」というものです。
私自身、この非二元のスペースを覚醒体験で体感し、それが真理であることを確信しました。
自分の思考と自分自身とを切り離し、一瞬であっても真のアイデンティティを知ったことがある人は、その体験を決して忘れることがありません。
それが真実であると、直感的に知っているからです。そしてこれは、すべての人類が潜在的に知っているものです。というのも、私たちはエゴのベールを剥がした時、すでに皆、真実そのものだからです。
今回の内容が、意識の目覚めのきっかけとなれば幸いです。
それでは今日はこの辺で。
愛を込めて。
「私は誰か?」、それを見出しなさい。純粋な「私」は実在であり、絶対的な「存在−意識−至福」です。「それ」が忘れられた時、あらゆる不幸が起こります。ーラマナ・マハルシ
リリ