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リリ
目覚めの案内人
純粋な非二元(悟り)の観点から心のセラピストとして活動しているリリです。
幼い頃から、この世界への諸行無常感を抱え、極度に繊細で敏感(HSP)な自分に生き辛さを感じいました。20代の時に訪れた絶望を機に悟りの探求を始め、一瞥・覚醒を数度体験。
セッションでは表面的な改善でその時だけの状況を変えていくのではなく、より本質的かつ根本的な改善方法に導くことを心がけています。
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スピリチュアル嫌いだった私が探求を始めた理由と実際の変化

湖に佇む美しい白鳥

こんにちは。リリです。

私は現在、当ブログでスピリチュアルな情報発信を行なっています。ですが、実のところ以前は、スピリチュアルが嫌いでした。

というのも、「スピリチュアル=怪しい浮ついた現実逃避のためのもの」というような認識が強かったからです。かなりの偏見ですが、当時は本気でそう信じていました。

そんな中、23歳の時に体験したあらゆる苦しみをきっかけに、見えない世界の重要性に気づくこととなり、スピリチュアルな探求を始めるようになりました。

今回は、そんな私の魂の旅路を元に、幸せに生きるために無視できないことについて、シェアさせてください。

目次

もともとスピリチュアルが嫌いだった理由

綺麗なお花
私自身は、スピリチュアルな世界には馴染みがある環境で育ってきたと思います。

というのも私がまだ幼かった時、日本では「マーフィーの法則」等が流行っており、母はそうしたスピリチュアルな教えが好きで、よくスピリチュアルな本を読んでいたからです。

でも、母の現実は中々よくならず、私はいつも幼いながらに、「現実が変わっていかないなら、意味ない。」と、そう思っていました。

母が大切であるがゆえに、母の現実を変えてくれないスピリチュアルな教えたちに責任を転嫁して、理不尽に責めていた部分もあった気がします。そこからは「見えない世界=胡散臭い」という認識も強まっていきました。

また、もともと高圧的なアドバイスや断定的なガイダンスが嫌いだった私は、そうしたエゴ的アドバイスを行うスピリチュアルティーチャーを目にした途端、「スピリチュアル=胡散臭く偉そうでインチキなもの」というような印象を感じるようになっていました。

それは、無意識の部分で”真にエゴのない教え”を求めていたからのように思います。

物心ついた時からあった疑問「なぜ人は生まれるのか?」

ただその一方で、幼少期からたくさんの哲学的疑問を抱えている子供でもありました。

例えば、「どうして人は死ぬのに生まれるのか?そこには一体何の意味があるのか?」という疑問だったり、「なぜ人間は時に残酷極まりない存在になるのか?人間の本質とは一体何なのか?」というような…。

そんな大人でも答えることができないような疑問を、幼い頃から抱えて続けていました。

ただ、そんな究極の問いかけに対しての納得できる答えが、スピリチュアルの教えの中にあるとは思えませんでした。

その理由は、前述したようなスピリチュアルエゴを感じるものが多かったというのに加え、当時流行っていたスピリチュアルな教えは、人生そのものの意義や人間の本質についてを教えるというよりも「今の人生をより幸せにするための教え」が多かったからです。

当時、生意気ながらも、そういった教えでは満足できない自分がいたように思います。

スピリチュアルへの偏見が取り除かれた理由

湖畔で本を読む女性
じゃあ、どうして私のスピリチュアルへの偏見が取り除かれたかといえば、それには大きなきっかけがありました。

それは、23歳の時に体験した度重なる絶望でした。

当時、私はサイコパス気質な人との人間関係で苦しみ抜いており、その影響で仕事、恋人、貯金の全てを一気に失い、借金までも抱えるという経験をしていました。

心も身体もボロボロだった当時の私は「このまま生き続けるよりも、死んだ方がよっぽど楽だ。」と、本気で感じていました。

ただ、そんな中で私は悟りの教えへと導かれます。

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導かれたというと大げさな感じがしますが、本当に人生の流れが悟りの教えへと導かれていく流れになっていったのです。

悟りの教えに出会った時、私は雷に打たれたような衝撃を感じました。

というのも悟りの教えは、私が幼い頃から抱え続けてきた「どうして人は死ぬのに生まれるのか?そこには一体何の意味があるのか?」という疑問だったり、「なぜ人間は時に残酷極まりない存在になるのか?人間の本質とは一体何なのか?」という疑問に対しての答えを明確に提示していたからです。

その答えも、一切の洗脳っけや強引さのない、非常に納得のいく内容でした。悟りの教えは、一切のエゴ(スピリチュアルエゴ含む)を感じさせない無条件の愛そのものだったのです。

そして、私が今までどうして生きづらかったのかだったり、どうしてうまく生きていくことができないのか、という部分への解決策というのも明確に示してくれていました。

結局のところ、私は自身の無知さによって、苦しんでいました。

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ですが、悟りの教えはその無知さゆえの苦しみを、全て取り払ってくれたように感じます。

そして、無知が取り除かれていくにつれて、自身の偏見のおかしさにも気づいき、より謙虚にさせてもらったような気がします。

その結果、他のあらゆるスピリチュアルな教えのそれぞれの素晴らしさも、見いだすことができるようになっていきました。

スピリチュアルな探求を始めてから起こった実際の変化

花と蝶々
そうして、私のスピリチュアルな探求(悟りの探求)は24歳の時に本格的にスタートしたのですが、そこからは不思議なことが連続していくようになっていきます。人生自体が、大きく変容していきました。

どんな変化が起こったかといえば、それは内面の変化も外側の変化も、どちらもあります。

私の身に起こった外側(環境・現実世界)の変化

まず、非常にわかりやすかったのは、金銭面での変化です。

前述したように、当時の私は借金を抱えることになっていたのですが、当時、私は働く気力は残っておらず、「これからどうやって生きていこう」という状態でした。

そんな中、2つの驚くことが起きました。

まず、1つ目の驚きは、全く放置していた収益0のビジネスから、急に収益が上がるようになったということです。当時、放置して数ヶ月以上経っていた個人の小さなビジネスから、なぜか再び収益が上がるようになっていました。

そして、2つ目の驚きは、抱えた借金額ちょうどになった途端、またその収益が0に戻ったということです。

本当に不思議でしたが、この出来事のおかげで、私は無事、借金を返すことができました。

また、それと同時期に、他の不思議なことも起こっていました。
というのも、気力も体力もない私でも自由に働けるようなバイト先から、スタッフ募集の声かけがあったのです。

そのおかげで私は、本当に無理のないペースで自分の食べていくお金を得ることもできたのです。

この時、私は目に見えない存在のパワーや、見守ってくれている愛を痛感し、そうした力を本当に信じられるようになっていったように思います。

そして、そうした目に見えないものである愛の重要性を信じれば信じるほど、愛情深い人との出会いも急激に増えて行きました。

面白いのが、その全てが偶然の出会いであったことです。

私のあるがままを受け入れ愛してくれるような人が増えていったのです。今までそういった人に一切出会ってこなかったのに、魂の家族とも言えるような人々に出会っていきました。

ソウルファミリー
私自身、それは今でも本当に幸せなことです。

私の身に起こった内面(精神面・霊的な部分)の変化

では、自分自身の内面はといえば、驚くほどに静かになっていきました。

当時、人間関係では傷つき抜き、恋人もお金も仕事も失った状態でしたが、思考が静まり返っていたのです。もちろん、24時間そうだったかといえば、そうではありません。悲しみや怒りが浮上してきた時間もありました。

ですが、根本部分では、それに「静かに気づいている自分」がいて、そういった感情はただエネルギーとして私の中を流れていき、静かなままだったのです。

また、そんな私と話した親も「リリは最近、何かが変わった。なんだかリリと話してると空気感が静かで澄んだものになっていく感じがする。」と私の内面の変化を感じ取ってくれるようになりました。

根本的な部分から変わっていったので、そこから一喜一憂するような出来事が訪れはしても、苦しみの感じ方に関しては、全く質が変わったように感じます。

結局、「悟りの教え」は、私を根本の部分から深く変えてくれました。

終わりに

以上、今回はスピリチュアル嫌いだった私が探求を始めた理由と実際の変化について、お話させていただきました。いかがだったでしょうか?

以前の私はスピリチュアルに対して偏見まみれでした。

その分、無知で苦しみも多い人生でした。

今思えばそれも全ては、自身の学び成長のために完璧に起こっていたと感じますが、そんな無知さが取り除かれていくにつれて、私の人生は内も外も、本当に大きく変わっていったのです。

それは言い換えるならば、魂の部分から幸福な基盤が作られていくようなそんな変化でした。もちろん、その途上は、幸せなことばかりであったわけではありません。

苦しみの体験や、それまでの膿を出すようなきつい体験もたくさんありました。ですが、それらも愛を軸に起こっているとわかっていたので、やはり根本的な部分では静かにそれらの浄化や癒しを起こしていくことができたように思います。

そんな安心感を私にもたらしてくれたのは、悟りの教えはじめ、あらゆるスピリチュアルな教えのおかげです。

むやみやたらになんでも信じればいい、というわけでは全くありませんが、無条件の愛だけは信じても良い。安心して良い。そう自信を持って言えます。

だからこそ、今こうした無条件の愛を軸にした情報発信を行なっています。

というわけで今日はこの辺で。

愛を込めて。

リリ

湖に佇む美しい白鳥

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